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私の心の中にいる神様 170
不器用だったから…

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 毎週土曜日に配信予定です。

不器用だったから…

(男性・祝福二世 20代)

 受講中の伝道対象者(男性)がいます。彼は、「世の中にこんな人もいるんだ」と驚くくらい、真面目で本質的なものを求めている人です。
 彼の講義が終わった後、講師を含めて3人で話をしていた時のことです。

 講師が自身の信仰路程で出会った神様や気付きについて証しをしたところ、彼がその内容に共感して、いろいろと深い話題が飛び出し、盛り上がっていました。

 一方、そばで聞いていた私は、「この二人のレベルについていけないな…」と疎外感を感じてしまいました。
 そして、「僕が信仰の親でいいのかな…。俺、そこまでの実体がないな…」と、次第に悲観的になっていったのです。

 そんな中、講師が彼に「どうしてここに通うことになったの?」と聞いたら、「彼(私のこと)がとても不器用だったから。でも頑張っていたから」と答えました。
 私はうれしいようなうれしくないような、複雑な気持ちになりました。

 僕の思考は、「俺、二世だから、一世には負けないし!」「血統違うし!」というような、自分を守るための論理を訴えてくるのです。

 彼はただ率直に話しているだけで、別に私を否定しているわけではないのですが、「信仰の親として、不足と思われてはいけない」という思いが出てきて、そこからなかなか抜け出せませんでした。

 その囚(とら)われを手放そうと、「心の目で見る」ワークをしながら、「真の愛を中心として正しく見させてください」と繰り返し唱えるのですが、良心との対話はなかなか回復しませんでした。

 ところがその後参加した青年集会で青年部長が語った、「私たちはもうすでに愛されている」という言葉が、ストンと心に落ちてきたのです。
 不器用でもいいんだ、能力や技術の優劣にあれこれと悩まなくてもいいんだ、すでに天から愛されていたんだということを心に留めて、美を返していく心を先立てていけば大丈夫だと思いました。

 こうして、ようやく、肩の力を抜いて伝道対象者に対することができるようになったのです。

 これからも囚われることはたくさんあると思いますが、「すでに愛されている」ことを忘れずに、歩んでいきたいと思います。

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 次回は、「こんなに優しかったっけ?」をお届けします。


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