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歴史と世界の中の日本人
第43回 上皇、上皇后両陛下
国民を子女のごとく、人類を兄弟のごとく愛した日本人

(YFWP『NEW YOUTH』203号[2017年5月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

 雲仙普賢岳噴火の被災地。
 明仁(あきひと)上皇陛下は歴代天皇で初めて床に膝をついて被災地の避難民を見舞った。

 上皇、上皇后両陛下は、率先して被災地を訪ねては、常に膝を折って親しく語り掛け、被災した人々を慰労された。

 かつて天皇が国民の前で膝を曲げることはあり得なかった。

 明仁上皇のこのようなスタイルは自身が皇太子の時からのものであり、天皇となり80歳を超える高齢となっても続けていらっしゃった。

20051223日、東京都千代田区・皇居での天皇誕生日一般参賀にて(ウィキペディアより)

 また、東日本大震災に伴う計画停電の際、皇居のある千代田区は対象外地域であったが、「国民と困難を分かち合いたい」とする天皇(当時)のご意向により、皇居は停電時間に合わせ電源を落とした。

 明仁上皇が中等科時代のこと。米国のエリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人が家庭教師として招かれ皇太子(明仁上皇)の英語教育を行った。
 ヴァイニングは何気ない日常の会話の中で、皇太子の行動や考えの誤りをそれとなく気付かせたという。

 こんな逸話がある。
 野村行一東宮大夫が入院した時のこと、ヴァイニングは皇太子に「お見舞いをなさいましたか」と聞いた。
 皇太子が「まだしていません」と答えると、ヴァイニングは理由を尋ねた。
 「まだ侍従が何も言ってこないので」と言うと、ヴァイニングはこう諭したという。
 「お見舞いは誰がするのですか? 皇太子がしたいと思ったらすればよいし、人に言われてするものではありません」
 ヴァイニングは、自分から行動を起こすことが、上に立つ者として大切なのだと説いたのである。
 ヴァイニングが皇太子に与えた影響が小さくなかったことは想像に難くない。

 そんな上皇陛下と、常に一つとなって行動を共にしてこられたかたが上皇后陛下である。

 上皇陛下は上皇后陛下についてこう語っている(在位当時)。
 「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」

 国民を子女のごとく、人類を兄弟のごとく愛した日本人、それが上皇、上皇后両陛下のお姿である。

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 「歴史と世界の中の日本人」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。