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進化論から新創造論へ 26

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

統一思想による新しい創造論

(8)アダムとエバの創造
-神の愛はアダムとエバによって完成される-

 統一思想の新創造論は、聖書に書かれているように、神がアダムとエバをつくられ、彼らが人類の始祖となったと見ます。聖書には、神は始めにアダムをつくられ、次にアダムのあばら骨を取ってエバをつくったと記録されていますが、それは文字どおりのあばら骨でエバをつくったというのではなくて、アダムをつくるときと同様な「設計図」でもってエバをつくったという意味です。

 人類学的には、ホモ・サピエンスとしての人間が現れる前に猿人(アウストラロピテクス)とか原人(ホモ・エレクトゥス)の段階があったとされていますが、すでに述べたように、それらは人間(肉身)を創造する過程において必要とされた存在であるとみます。しかし、猿人とか原人の過程を通過してホモ・サピエンスに至ったとしても、人間アダム・エバがつくられるときには大きな飛躍があったに違いありません。またアダムとエバには霊人体が与えられたという点で、アダム・エバは全くの新たな創造であったということができます(図27参照)。

 今日まで人類学は、進化論の立場から、古い人類の化石の研究を行い、その結果、世界の各地において現代人への進化が起こったと考えていました(多地域進化説)。したがって、全人類はアダム・エバから始まったとする創造論とは相容れないものでした。ところが最近、分子レベルから人類の起源の問題を扱う分子人類学において、人類は共通の祖先から生まれたという主張が現れてきたのです。

 細胞の中にミトコンドリアという小器官がありますが、その中にあるDNAは、両親の遺伝子の混合物である核のDNAとは違い、母親だけを介して伝わり、突然変異でしか変化しません。したがってミトコンドリアDNAの変異を比較することによって純粋な人類の系統樹をつくることができるのです。

 ハワイ大学のレベッカ・キャン(Rebecca Cann)は、カリフォルニア大学バークレー校のウィルソン(A. Wilson)、ストーンキング(M. Stoneking)と共同で、出産後の妊婦からもらった胎盤を材料として研究を行いました。彼らは、米国に住むアフリカ系、欧州系、中東系、アジア系の妊婦、147人から胎盤をもらい、ミトコンドリアDNAを抽出して調べました。その結果、現代人のミトコンドリアDNAの持っている変異は、20万年前にアフリカにいた一人の女性のミトコンドリアDNAに由来するという結論に達したのです。この研究の成果は1987年の全米人類学会において発表されて激しい論争を引き起こしました。19881月、『ニューズウィーク』誌がこれを特集し、その中で次のように書きました。

 昨年、アメリカの科学者たちがこのイブを「発見」したと発表するや、おそらく人類学史上最古の論争に、再び、火がついた。人類の起源をめぐる議論である。………その結果、最大の論議を呼んだのは、現代人は世界各地で一定の過程を経て徐々に進化してきたという、人類学者の通説が否定されたことだ。古代型人類がいわゆるホモサピエンスになる過程は、イブ家という限られた一点において起こったというのである(*51)。

 これは「イブ仮説」または「エデンの園仮説」と呼ばれていますが、科学者の立場から、アダム・エバが人類の始祖であるとする創造説を裏づける意義深い研究であったといえます。今後、このような研究がさらに進められることにより、科学者の研究の成果はますます創造論を支持するようになると思われます。(この「イブ仮説」に対しては、その後データ処理の不備が指摘されました。しかし、この研究を契機として、さらにDNAの解析が進められた結果、「イブ仮説」の主張する現生人類の「アフリカ単一起源説」が、今では定説になりつつあります〈*52〉)

 ここでアダムとエバの創造の意義について、統一思想の立場から説明します。進化論において、最も興味深く、困難な問題の一つは、雄と雌がなぜ生じたかということですが、この問題について文鮮明先生は次のように語っています。

 今日、この存在世界の中の最大の神秘があるとすれば、それは、ほかならぬ男と女が生じたという事実です。また、動物においては雄と雌が生じたという事実です。さらに、植物世界においても、やはりオシベとメシベがあり、鉱物世界においても陽イオンと陰イオンがあり、このようにすべてがペアシステムでもってできているのです。男と女、雄と雌、この比率が神秘中の神秘なのです(*53)。

 自然科学は事物の因果関係を明らかにしようとするものです。したがって自然科学はある現象の原因を追求しますが、なぜその現象が生じたのかという理由は明らかにすることはできません。雄と雌がなぜ生じたのかというのは、理由に関係することです。したがってそれは生物学では解決できない問題であって、哲学の領域に属することです。

 統一思想からみれば、雄と雌は進化によって生じたのではなく、創造主に似せてつくられたのです。すなわち男と女、雄と雌、オシベとメシベ、陽イオンと陰イオンが生じたのは、創造主である神が、男性の性稟(せいひん)と女性の性稟を備えているからです。そのことを統一思想では、神は陽性と陰性の中和体(または調和体)であるといっています。

 それでは陽性と陰性は何のためにあるのでしょうか? それは愛のためです。アダムとエバが成長して、神を中心として夫婦となって愛し合うとき、神が臨在し、神の創造目的が完成するようになっていました。動物の雄と雌、植物のオシベとメシベ、鉱物の陽イオンと陰イオンなども、次元は低いのですが、やはり愛の授受による一体化のためにつくられたのです。

 神の創造は愛の完成を目指してなされました。すなわち万物のつくる愛の環境のもとで、愛の主人公であるアダムとエバが最後に登場し、愛の園であるエデンの園が完成するようになっていました。そのような愛の園を目指して、神は時間をかけながら、低級なものから高級なものへと段階的に万物世界を創造されたのです。したがって万物世界の創造の過程は「愛の前進」であったのです。

 生物はオシベとメシベ、雄と雌のペアで創造されたのであり、創造が進むにつれて、世界は次第に美しく愛らしくなっていきました。実際、オシベとメシベがなかったならば、植物において花は咲かず、ただ生い茂るだけだったでしょう。また雄と雌がなかったら動物世界の美しい愛のディスプレーはなく、ただ食べて寝て成長するだけだったでしょう。そして生物はみな無性生殖で繁殖したことでしょう。

 生物は種ごとにペアで創造されたのです。そして同じ種の中での雄と雌しか交配できないようになっています。実際、たとえ異なる種の間に雑種ができたとしても、それは一代限りなのです。そのことを統一思想では、種と種の間には「愛の門」があるといいます。したがって一つの個体が突然変異によって新しい段階に進化したとしても、ペアでないかぎり、新しい種として存在することはできないのです。また異なる種に属する雄と雌が「愛の門」を越えて交わることによって進化した子を生むというようなことはないのです。雄と雌のペアが同時に新しい段階に高められなくてはなりません。それゆえ生物は種ごとにペアでもって、次第に次元を高めながら創造されたのです。

 最後に結論を述べましょう。ダーウィンの主張するように適者生存、弱肉強食の生存競争によって生物は進化したのではありません。愛の園の実現を目指して、愛を前進させながら神によって創造されたのです。ところで万物世界は神が計画された通りにできあがったのですが、人間始祖のアダムとエバが堕落することによって、人間は神の願われたようにはならず、神の愛を完成することができなかったのです。そのためエデンの園は未完成に終わってしまいました。しかしながら、愛の環境である万物世界だけはその時から今日に至るまで、変わらずに存続しているのであり、あとは人間だけが本来の姿になり神の愛を相続することが願われているのです。そのようになるとき、神と人類の理想であるエデンの園がついに実現するのです。


*51 NEWSWEEK, January 11, 1988, p.3839..
 日本語版、1988128日号。
*52 増満浩志「人類のルーツ」読売新聞、1999613日。
*53 文鮮明「世界統一と頭翼思想、神主義」『ファミリー』199111月号、45頁。

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 「進化論から新創造論へ」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。


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