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愛の知恵袋 172
愛のある所、益のある所に人は集う

(APTF『真の家庭』293号[20233月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

お客が減ったマーケット

 スーパーマーケットを経営している方から相談を受けた時のことです。

 Aさんの店は「店内もきれいだし、安くて親切だ」という評判で、その町では一番繁盛していました。お蔭で家も新築でき、たまにはゴルフにも行けるようになったそうです。しかし、10年を過ぎた頃から客が減り、経営が苦しくなってきました。

 Aさんは何度も特売イベントをしたり、売り場ごとに店員に目標を与えて競争させたりしましたが、業績は回復できず追いつめられているようでした。

 商業の場合、原因にはハード面とソフト面の両面が考えられます。ハード面について言えば、店の立地条件や外観・内装のほか、何よりも客は損得に敏感ですから、良い商品を1円でも安く提供できるように努力しなければなりません。

 また、ソフト面では、客は店員の人柄や接客態度にも敏感で、サービスが良くて気持ち良く買い物ができる店のほうに向かいます。

 私は、「原因を知るために、お客様の評判を調べてみては?」と提案しました。そこで、Aさんは友人・知人・親戚に頼んで周辺の評判を聞いてもらいました。

 「昔は安かったけど、今は安くない」「最新の品物がない」「店員が不親切になった」「要望を言ってもすぐ対処してくれない」「駐車場が狭くて不便」…等々。

 思っていた以上の厳しい評価に直面したAさんは、「正直、ショックでした…。もう一度本気でやり直します!」と意を決し、全力で改革に乗り出しました。

人は“益”を求めて動いている

 私の両親も商業をしていたのでよく分かりますが、商業の競争は実に熾烈で非情なものです。お客様のニーズの変化は想像以上に速く、ちょっと油断していると、新しい店やサービスの良い店に抜かれてしまいます。

 このような浮き沈みは世の常であり、商店でも企業や団体でも同じ事です。日進月歩の現代社会では、人々の生活意識もめまぐるしく変化を続けます。

 変わらないのは、「人は常に何らかの“益”を求めている」ということです。

 新しい物、価値ある物、おいしい物、安い物、便利な物、楽しいこと、役に立つ情報、優れた技術、やりがいのある仕事、美容と健康に役立つこと…等々。

 様々な“益”のある所に人は集まり、無益と思う所からは去っていく…。

 これは時代を問わず、国や人種を問わず、世界共通の人間の心理でしょう。

益には“外的な益”と“内的な益”がある

 自然界の動物たちを見ても同じです。彼らは生存本能によって、いつも「食物」と「安全」という二つの益のある所を探し求めて行動しています。

 人間も食べる楽しみと快適な生活を求めて生きていますが、動物とは違い霊魂をもっているので、衣・食・住・性という肉体的欲求を満たすことだけでは満足せず、精神的欲求として心の知・情・意を満たすものを常に求めています。

 人は知的欲求を満たすために様々な方法で情報と知識を求めます。また、情的欲求を満たすために諸々の美を追い求め、愛し愛される対象を求めています。

 私達の知的欲求を完全に満たしてくれるものが“真理”であり、情的欲求を完全に満たすことができるのは永遠・不変・絶対の“愛”です。

 それゆえに、人は誰でも心の奥底で絶対的な愛と真理を切に求めています。

「受けるよりは与える方が幸いである」

 「桃李(とうり)もの言わざれども下(した)おのずから蹊を成す」(史記・司馬遷)

 桃やスモモは何も言わなくても、美しい花やおいしい実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に道ができる。

 …徳のある人のもとには、自然に人が集まるものだ…という意味です。

 本当に愛情の深い人のもとには自然に人が寄ってきます。奥深い真理を語る人のもとには、志ある人々が訪ねてきます。

 もし自分が主導しているグループなどが、成長が停滞し様々な問題が生じているというような時には、一度足を止めて謙虚に検証してみる必要があります。

 自分とメンバーは創立時の精神を失ってはいないか。互いに支え合い助け合う人間関係ができているか。人々に愛を与え益を与えることができているのか…。

 もし、人を利用しようという動機があったり、与える事よりも奪う事のほうが多くなっていれば、人が失望し離れていくのは当然です。

 私という個人も、家庭も、会社や団体も、国家も同じ道理です。

 受けること以上に与えるものが大きければ、心から感謝され、人はおのずと慕い集ってくるはずです。

 2000年前、聖人イエスはこう言いました。

 「受けるよりは与える方が幸いである」(新約聖書・使徒行伝2035節)

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