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シリーズ・「宗教」を読み解く 257
キリスト教と日本㊱
多くの人々を救ったド・ロ神父と日本の婦人たち

ナビゲーター:石丸 志信

 浦上のキリシタンたちは、配流地から帰還しても苦しい生活が続いた。1年がたってようやく落ち着きを取り戻した頃に、この地方に赤痢が広がった。
 幸い、医学、薬学に熟達していたパリ外国宣教会のマルク・マリー・ド・ロ神父が大浦天主堂から浦上に駆け付けて救護に当たった。

 ド・ロ神父は、プティジャン司教の要請で1868年に来日、本格的な日本布教再開に備えて奉仕していたのだった。ド・ロ神父は看護法、感染予防、薬の使用法などを信徒らに指導し多くの患者を救った。


▲ド・ロ神父(ウィキペディアより)

 浦上で神父の手助けをしたのが岩永マキ、守山マツら「旅」の苦難を経験した若き婦人たちだった。
 彼女たちは、救護活動の最中、家族への感染を防ぐため、高木仙右衛門の提供する小屋で共同生活をしながら奉仕に励んだ。


▲岩永マキ(ウィキペディアより)

 赤痢がようやく収まると、港外の陰の渡島に天然痘が流行した。ド・ロ神父とマキたちはすぐさま救援活動に駆け付けた。
 天然痘の流行が収まった時、マキは一人の孤児を浦上に連れて帰った。マキは、孤児たちを養うのが自分の使命だと感じた。以後、共同生活を続ける婦人たちも共に他の孤児たちも集めて本格的な養育活動に献身するようになった。
 彼女たちは貧しい生活ながら、多くの孤児たちを養うことになる。

▲「女部屋」の一同。中央の柱の陰の女性が岩永マキ(ウィキペディアより)

 ド・ロ神父は彼女たちの共同生活を内外共に支え、祈りに基づく修道的共同体となっていった。
 当初、マキたちはこの共同体を「女部屋」と呼んだが、数年後には会則を整え、「十字会」と名付けられた。
 「主の十字架の後に従い、犠牲的生活をし、主の栄光と人々の救霊のために尽力すること」がその目的として掲げられた。

 岩永マキたちの精神と活動に倣う婦人たちの共同体が長崎各地に生まれていき、1956年にはこれらが統合されて在俗修道会「長崎聖婢姉妹会」が誕生した。1975年に長崎大司教の指導で「お告げのマリア修道会」となった。

 イエス・キリストの言葉を胸に刻み、いかなる困難なときにも、主に従って生きようとした婦人たちの営みが、このような実りをもたらした。



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