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コラム・週刊Blessed Life 253
マルクスの思想の根底に流れる神への復讐心と怨念

新海 一朗

 カール・マルクス(18181883)は、『へーゲル法哲学批判序説』(1843年)の中で次のように述べました。

 「宗教は抑圧された生物の嘆息であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、無情の世界の感情である。つまり、それは民衆の阿片(アヘン)である」

 この言葉は、「宗教は阿片である」という簡略化された形で世界に広まっています。「抑圧された生物の嘆息」「魂なき状態の心情」「無情の世界の感情」など、非常に強い感情的表現で、宗教およびその信者たちに対する怨恨(えんこん)と呪いの思いを述べています。

 かくして、マルクス・レーニン主義を中心とする共産主義は、徹底した反宗教思想となり、無神論思想のチャンピオンの座を占有します。宗教と戦い、神と戦う思想的戦闘ならびに暴力的戦闘を今日までやめたことがありません。

 旧ソ連の歴史がそうであり、中華人民共和国の歴史がそうです。共産主義を捨てない限り、最後まで、宗教と戦い、神と戦うつもりなのです。
 日本共産党の「旧統一教会」に対する戦いも、彼らが明白に共産主義国家の樹立を目指しているからです。

 マルクスが1837年、19歳の時に書いた詩、「絶望者の祈り」(改造社版『マルクス・エンゲルス全集』第26巻)は、神を憎悪する彼の心情をよく表現しています。

▲1836年 ボン大学学生時代のマルクス(ウィキペディアより)

神が俺に、運命の呪いと軛(くびき)だけを残して何から何まで取上げて、
神の世界はみんな、みんな、なくなっても、
まだ一つだけ残っている、それは復讐(ふくしゅう)だ!
俺は自分自身に向かって堂々と復讐したい。

高いところに君臨してゐ(い)るあの者に復讐したい、
俺の力が、弱さのつぎはぎ細工であるにしろ、
俺の善そのものが報いられないにしろ、それが何だ!

一つの国を俺は樹(た)てたいんだ、
その頂きは冷たくて巨大だ
その砦(とりで)は超人的なもの凄(すご)さだ、その指揮官は陰鬱(いんうつ)な苦悩だ!

 このような陰惨な詩を書いたマルクスの心情世界は、光のない暗闇世界であり、神に対する復讐で燃え上がる炎によって、世界を焼き滅ぼそうとしているかのようです。

 そうです。『共産党宣言』に書いたように、暴力革命という手段で、世界を破壊し、共産主義国家を打ち立てるのです。

 どんなに美辞麗句の政策を語ったとしても、革命の状況がひとたび整えば、共産革命を実行し、政権を奪取した後には、一転して国家による暴力的支配を躊躇(ちゅうちょ)なく行うのが、共産主義ならびに共産党の本質です。

 1922年11月に「コミンテルン日本支部」として発足したのが日本共産党です。
 現在は、約28万人の党員を抱え、西側諸国で最大規模の共産党となっています。

 共産党の志位和夫委員長は「サンデー毎日」(2022116日号)の対談で、旧統一教会や、国際勝共連合を「反共の先兵」と位置付けた上で「今度は決着つけるまでとことんやりますよ」と宣言しました。
 自身のツイッターでもそのことを紹介し、旧統一教会との「最終戦争」への意気込みを強調しています。

 宗教(神)と戦って勝つつもりなのでしょうか!?