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シリーズ・「宗教」を読み解く 253
キリスト教と日本㉜
日本之聖母像と浦上四番崩れ

ナビゲーター:石丸 志信

 大浦天主堂の正面入口に白い聖母像が立っている。台座には「慶応元年三月十七日 日本之聖母像 信徒発見記念」と刻まれている。
 「信徒発見」の出来事はプティジャン神父によって、その詳細が報告され、西欧で大きなニュースとなった。この出来事を記念してプティジャン神父の出身地、フランスから贈られたのがこの聖母像。「日本之聖母」と呼ばれている。

▲聖母像「日本之聖母」

 プティジャン神父は「信徒発見」の翌年、日本代牧区司教に任命された。18676月に彼は、司教として「日本之聖母」を天主堂正面に据え、「信徒発見」の記念式典を盛大に行った。
 それ以来、このマリア像は日本26聖人の殉教地、西坂の丘に向かって立ち、慈しみをたたえた眼差しを、聖堂を訪れる人々に注いでいる。

▲大浦天主堂から見る長崎の風景

 キリシタンの信仰を守り通してきたことを告白した浦上の信徒らは、プティジャン神父のもとに押しかけ、指導を仰ぐようになった。また、この話を聞きつけた平戸、五島、生月の島々に潜伏していたキリシタンまでも密かに天主堂を訪れるようになった。

 キリシタンの存在が発覚するのを恐れた神父は、農民に変装して、村を訪ねるようになった。村では納屋を改造した秘密礼拝堂を造り、ミサも行った。また、村々から選ばれた青年を教育し伝道師として信徒教育に当たらせた。いよいよ信仰の自由の時が本当に近づいてきたのだと、信徒たちは高なる心を抑えることができなかった。

 そんな折、村に死人が出たが、檀那寺の僧侶の立ち合いなく葬儀を行った。このことでキリシタンの存在が発覚した。浦上のキリシタンは檀那寺との関係断絶を庄屋に申し入れ、請願者の名簿を提出し、キリシタンの信仰を表明した。

 長崎奉行所は内偵を進め、1867715日の明け方、嵐の中、68人を捕縛した。「浦上四番崩れ」はこうして始まった。
 これを知った欧米の公使らは、信教の自由を重んじる立場から強く非難した。

 幕府は、拷問せずに釈放することを約束したものの、キリシタンに棄教を迫り、応じないので厳しい拷問を加えた。彼らはあまりにも厳しい拷問に堪えかねて次々に棄教したが、ただ一人、高木仙右衛門だけは信仰を捨てなかった。
 欧米の公使が幕府を強く非難したため、やっと彼らは解放された。

 無学ながら信仰を貫いた高木仙右衛門の姿に、棄教した者は恥じ入り、再び信仰に立ち返ることを表明するようになった。
 そのうち幕府が大政奉還し、キリシタンに対する処遇は明治政府の手に移された。神道を支柱とした国家づくりを急ぐ明治政府は、江戸幕府のキリシタン弾圧政策を踏襲し、浦上の信徒らは捕縛され、御前会議で全員流罪が決定した。



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