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愛と人生の道しるべ 6
欲しいと思う人からは逃げていく

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第1弾、『若者に贈る~愛と人生の道しるべ』は毎週日曜日にお届けしています。

酒井 正樹・著

(光言社・刊『若者に贈る~愛と人生の道しるべ』より)

第2章 愛は与えて無限に溢れる

欲しいと思う人からは逃げていく

 愛してほしい、愛されたいと願う人が愛されず、そう願っていない人が愛される。

 このような皮肉な現象が、私たちの身の回りには多く見受けられます。愛を手に入れるために、多くの人が学歴や収入やルックスに頼ろうとしています。しかし、それでは愛を得られないことは本心で知っています。

 愛は、大きな喜びを与えてくれますが、その愛を常に心に宿している人がどれほどいるでしょうか。ほとんどの人が愛を失い、傷つき、挫折して不幸になっています。

 追っても追ってもたどり着けない、砂漠に浮かぶ蜃気楼しんきろう)のように、愛には、それを求めている人には得られず、逃げ去ってしまう傾向があるようです。

 愛は、相手の幸福を願う祈りにも似ており、相手にも自分にも、心の満足を与えます。黙って忍耐し、喜んで犠牲になり、悲しみや苦しみを和らげ、生きる喜びを与え、希望を抱かせ、人間らしく生きようと努力するようになります。

 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、インドの貧民窟で、あと数時間の生命という人たちを介抱しながら、「あなたも望まれてこの世に生まれてきたのですよ」と語り掛けました。

 マザー・テレサがノーベル賞を受賞した頃、インドの大都市コルカタ(カルカッタ)には、農村から流れ込んできた三百万人以上の貧民がいて、一日に何十人もの人が路上で亡くなっていたと言われています。その貧しさは、将来、物乞いをするときに有利なように、子供が生まれるとすぐ、片手や片足を切り落としてしまうというほどのものでした。

 人間にとって最大の不幸とは、病気になることや貧乏になることではありません。むしろそのことによって見捨てられ、誰からも必要とされなくなることと言えるでしょう。

 親や兄弟からも見捨てられ、人間としての価値を一度も尊ばれたことのなかった貧民たちは、マザー・テレサの愛の言葉と奉仕に触れて驚きました。生まれて初めて人間として接してもらえたからです。インド社会では、地上で正しく生きることができなかった人は、死ぬと地獄に落ちて動物に生まれ変わると信じられています。ですから彼らは、死んだらもっとみじめになるかもしれないと絶望していました。そんな彼らに、マザー・テレサは「あなたを喜んで迎えてくださる、親なる神様が待っておられます」と伝えました。

 彼らは、とても驚いて感動し、安らかな顔になって息を引き取っていくのでした。彼らは、この宇宙のどこかに確かに存在し、人類の幸福を願い、祈っている、愛の究極存在を感じたに違いありません。

 新約聖書コリント人への第一の手紙第十三章四節から八節には、愛について次のように書かれています。

 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。
 愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
 愛はいつまでも絶えることがない。

 これは、素晴らしい定義です。この「愛」という言葉を、「私」に置き換えてみてください。「私は寛容であり、私は情深い。またねたむことをしない……」と、読み始めると、そんな自分ではないので恥ずかしくなってしまいます。自分の愛のレベルを確認するために、時々読んでみましょう。(続く)

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 次回は、「異性間の情は引力で、愛とは別のもの」をお届けします。


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