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シリーズ・「宗教」を読み解く 248
キリスト教と日本㉗
イタリア人宣教師、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ

ナビゲーター:石丸 志信

 岡本三右衛門ことジョゼフ・キアラ神父が亡くなってから、切支丹屋敷の住人はいなくなった。

▲切支丹屋敷跡

 それから20余年たって、一人の宣教師が日本に上陸した。イタリアのシチリア生まれの彼の名は、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティという。

 1708年8月末、彼を乗せた船はマニラを出港し、嵐を越えてひと月半後に屋久島に到達した。
 マニラから同行していた日本人信徒が島の漁民と接触し、宣教師が上陸したら直ちに捕らえられてしまうことを察知した。しかし、シドッティ神父は単独で上陸することを決意して船長に願い出ている。

 「その時を私は何年も前から熱望してきたのです。…私をひとりで残していってください。私が支えとするのは自分の力ではなく、イエス・キリストの全能の恵みと、過去の百年ほどのあいだにそのみ名を守るために血を流した多くの殉教者の保護なのです」(マリオ・トルチヴィア著 北代美和子/筒井砂訳 高祖敏明監訳『ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティ~使命に殉じた禁教下最後の宣教師』教文館 201994ページ)

 シドッティ神父の熱意に打たれた船長は、宵闇に乗じて彼を上陸させた。
 彼は、日本人の髪型に整え着物を着て太刀を差し、ミサ聖祭に必要な道具と祈りの本などを詰めた袋一つを持っていた。

 山林で一夜を明かした後、周辺を歩き回り、出くわした藤兵衛という名の農民に声をかけている。
 日本人の風体をしながら言葉の通じない異国人に驚いた藤兵衛は、彼に水を与え村でいったん保護した上で役人に報告した。しばらくの間、島の役人に監禁され尋問されたが、長崎に送られることになった。

 長崎奉行所で尋問がなされたが、シドッティ神父が話す日本語は十分理解できるものではなく、オランダ商館長らが通訳に呼ばれたが、彼らもイタリア語にてこずっている。
 ラテン語を介してようやく彼が殉教をも恐れずローマ教皇の命を受けて日本宣教目的で入国したことが分かった。

 日本上陸からおよそ1年後の1709年秋、シドッティ神父は江戸に護送され、そのまましばらく住人のいなかった切支丹屋敷に収監された。



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