シリーズ・「宗教」を読み解く 241
キリスト教と日本⑳
15年ぶりに日本の地を踏んだペトロ・カスイ岐部

ナビゲーター:石丸 志信

 1623年3月、日本宣教の任を負ったペトロ・カスイ岐部は、リスボンからインドに向けて出帆した。
 迫害の嵐が吹き荒れ、一層厳しくなる日本の状況が彼の耳に入っていたが、彼の心はかえって燃えていた。出発前に記したローマの修練長補佐オリペロ・ペンサ神父宛ての書簡にはこう記されている。

 「私は神と殉教者の功徳に信頼して、ローマの初代教会や他の国々でも証明されたことが、殉教者たちの流した血潮によって日本にも起きるよう望みをかけており、キリストを知る人が多くならんことを切に願っております」(松永伍一著『ペトロ岐部』中央公論社 昭和59131ページ)

 ペトロ岐部を乗せた船は喜望峰を回り、翌年5月ようやくインドのゴアに到着した。
 日本への道はなお遠く、およそ10年間、マニラ、マカオ、シャムを行き来しながら、密かに日本に上陸する道を探ることになる。そしてついに16306月、フィリピンのルバング島を出発した。

▲ペトロ岐部像と世界地図(右)

 日本人キリシタンの船長、水夫らの命懸けの協力で日本人司祭ペトロ岐部を乗せた船は一路日本に向かった。船は薩南諸島付近で嵐に遭い、口之島沖で座礁した。
 島民に助けられ、ここから鹿児島の坊津に送られた。役人に取り調べられたが、遭難した日本人の商人あるいは漁民として許された。
 こうしてペトロ岐部は15年ぶりに日本の地を踏んだのである。

 ペトロ岐部は、フィリピン出発前には、無事に日本に入国できるよう、イエズス会の創始者ロヨラとザビエルの助力を願い、祈ってきた。神はその祈りに応えるかのごとく、彼を日本に送り届けた。

 キリシタンの家庭に生まれ育ち、早くから聖職者への召命を受け止め研さんしてきたペトロ岐部。彼は世界を歩き、揺るぎない信仰の鎧(よろい)を身に着けて帰ってきた。


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