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シリーズ・「宗教」を読み解く 236
キリスト教と日本⑮
竹田の潜伏キリシタン

ナビゲーター:石丸 志信

 17世紀、徳川幕府の禁教令が出された後、大殉教の時代を経てキリシタンに対する弾圧政策が強化されていった。
 各藩でも幕府の方針に従い、キリシタンに対する検挙、改宗が進んだ。教会や聖像なども破壊されていった。

 そのような状況下で、キリシタンは信仰共同体の結束を固め、厳しい弾圧下にあっても、密かに信仰を守ろうとしてきた。
 表向きは仏教徒として生活しながら、主要な祈りと信仰生活の要綱を守ってきた。
 この時代の日本のキリスト教徒を「潜伏キリシタン」と呼ぶ。

 大分市から車で1時間ほど入った山間の町竹田市には、今もキリシタンの香りが漂っている。
 全国的にはあまり知られていないが、かつて日本八大布教地といわれるほどキリスト教信仰の栄えた地域でもある。キリシタン大名となった豊後国の領主・大友宗麟との縁も深い。

 JR豊後竹田駅前を流れる稲葉川を渡り、落ち着いた街並みを真っすぐ2分も歩くと竹田キリシタン資料館がある。

 1612年に製造されたサンチャゴの鐘やヨーロッパから持ち込まれたと思われる聖ヤコブ像などの聖遺物が展示されているが、これらは城内に保管されていたもの。竹田キリシタンの歴史は、資料が少なく謎に包まれたところが多い。

▲サンチャゴの鐘

 江戸時代の長き弾圧時代を経てもなお、キリシタン関係の遺物や遺跡が多く発見されるのは、潜伏キリシタンの信仰が密かに続いてきたからだろう。
 一説では、藩ぐるみでキリシタン隠しをしていたのではないか、ともいわれる。

 武家屋敷のあった殿町から奥に入ると、やぶの中に「キリシタン洞窟礼拝堂」が姿を現す。人工的に掘られたもので、14世紀頃のローマの洞窟礼拝堂とよく似ている。

 高さ3.5m、奥行き、幅ともに3mで天井はドーム状になっており、正面奥の壁には祭壇が彫り込まれている。1617年につくられたと考えられており、数人の神父がかくまわれたといわれる。

▲竹田のキリシタン洞窟礼拝堂

 礼拝堂の前に立つと、彼らが困難な状況下にあっても、希望と感謝を込めて祈った祈りの声が聞こえてくるようだ。

▲竹田のキリシタン洞窟礼拝堂

▲竹田のキリシタン洞窟礼拝堂


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