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日本人のこころ 66
清少納言『枕草子』

(APTF『真の家庭』287号[20229月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

春は、あけぼの
 「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」でよく知られる『枕草子』は、教科書で習った人も多いでしょう。

 私は1992年から4年間、単身赴任の川崎市から、家族が暮らす長野県駒ヶ根市に金帰月来していた時、早朝の高速バスから東の山並みを見て、このフレーズを懐かしく思い出していました。それにしても清少納言はよく観察し、それを平易な言葉で表現したものだと感心します。

 紫式部の『源氏物語』が世界初の小説なら、『枕草子』は世界初のエッセー集で、いずれも日本女性によって書かれたのは、日本人としてとても誇らしいことです。

 四季の描写は、次のように続きます。

 「夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

 秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。

 冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。」

 冬の「つとめて」は早朝で、「つきづきし」は似つかわしい。季節に応じての風物や振る舞い、その印象がなぞるように書かれています。

 思うに、人はこのようにして周りの自然を自分の心の中に取り込んできたのでしょう。そうやって自然とひとつになることが幸せであり、感謝の気持ちに満たされてくるのです。

 私が住む田舎でも、夏には昔、ホタルが飛んでいました。それが水害を防ぐための水路工事が行われ、川の両岸と川底がコンクリートになって以来、見えなくなってしまったのです。自然と人間の暮らしは時として矛盾するのですが、部分的にでも自然護岸に戻し、耕作放棄地をビオトープにするなどして調和を図りたいものです。

紫式部のライバル
 清少納言は著名な歌人だった清原元輔(もとすけ)の娘で、平安時代の中期に一条天皇の中宮定子(ていし)に、家庭教師のような私的女房として仕え、博学と気の強さから、定子に寵愛されました。藤原道長の娘で同じ一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕えた紫式部とはライバルの関係です。

 父・元輔の周防守(すおうのかみ)赴任に同行、田舎で4年暮らします。その間、京への思いを募らせ、それが宮廷への憧れにつながります。981年頃、陸奥守・橘則光(のりみつ)と結婚し、翌年一子をもうけますが、武骨な夫とは反りが合わず、やがて離婚します。その後、摂津守・藤原棟世(むねよ)と再婚し娘を産んでいます。

 1000年、中宮定子が出産時に亡くなったため、清少納言はまもなく宮仕えを辞めます。その後のことはあまり記録に残されておらず、不遇の晩年だったようです。

 当時は通い婚の時代なので、女性も夫以外の男性と付き合っていました。とりわけ清少納言のような知的な女性は、知性や感性を交換し合える男性たちと交流しています。

 その一人、藤原行成が彼女に語った言葉として『枕草子』に書いたのは、「『女はおのれをよろこぶ者のために顔づくりす。士はおのれを知る者のために死ぬ』となむ言ひたる。」です。女性は自分を愛してくれる者のために化粧し、男子は自分を理解してくれる者のために死ぬ、という意味で、中国の史書『史記』からの引用。そうして行成は、自分を理解してくれる清少納言に感謝の気持ちを示したのです。今にも通じる男女の心理で面白いですね。

 「説経の講師(こうじ)は、顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。」

 お坊さんは顔がよくないとね。美男のお坊さんの顔を見つめていてこそ、説法のありがたみもあるのよ――は今の女子大生が言いそうなことです。

 私は20年余りの農作業と地域活動で、人の人格は周りに開かれたもの、触れ合う自然や人々、そして出来事を取り込みながら、自分を形成していくとの考えに至りました。京都で精神障がい者の訪問医をしている高木俊介さんが、『こころの医療宅配便』で統合失調症を治せるのはわが家と地域だと言っているのに同感します。高木さんは、かつて精神分裂病と呼ばれていた心の病を統合失調症に病名変更した精神科医の一人です。

 驚かされるのは現在、統合失調症の患者は100人に1人もいることで、自分や周りの人を見ても、誰もが統合失調を抱えているとも言えます。自分の人格を形成していく途中で、いじめなどに遭うとうまく統合できなくなったり、認知症が進むと自分を見失ってしまったりするからです。

 理解できない事件を起こす人に共通しているのは孤立で、周りの人たちとよりよい関係を築きたいと、改めて思います。

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