神様はいつも見ている 43
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第7部 霊界と共に生きるわが人生
6. 神と霊界を証しする伝道者

 202278日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れるという、世界を震撼(しんかん)させるテロ事件が起こった。

 事件の捜査は終了したわけではなく、捜査結果に関する十分な説明もまだなされていない。事件の全容解明には至っておらず、不透明な部分も少なくない。真相はいまだに闇の中だと言っていい。

 事件をきっかけにマスコミはここぞとばかりに「旧統一教会(現・家庭連合)」たたきを始めた。
 事件の容疑者の犯行動機が家庭連合に対する恨みにあったとされているからだ。

 異常とも言える家庭連合への過熱報道は、特定の宗教に対する迫害である。
 マスコミや家庭連合に対する反対勢力は、憲法が保障する信教の自由を脅かし、人権を侵害する許されざる行為を連日公然と行っている。
 「これはもはや現代の魔女狩りである」と断罪し、警告を発する宗教者も現れている。

 事の本質は何だろう?

 社会全体が宗教の本質に目を向けざるを得ない状況に向かっている、と見ることはできないか。

 宗教というものを論じるのであれば、神と来世の存在について論じなければならない。なぜなら、宗教とは神を中心として生き、霊界と共に生きることを指すからだ。

 神はいるのか、いないのか。霊界はあるのか、ないのか。有神論と無神論の戦いである。

 私が霊界の存在たちと共に生きてきた人生の意味、二度も死の淵から生還した体験の意味は何だったのだろう。
 生かされたことの意味、地上で生きることの意味を、私は何度も自問自答してきた。

 私が導き出した答えはこうだ。

 希有(けう)な人生体験を通して、地上に生きる人々に神と霊界の実在を伝えること。それが私の使命であり、責任なのだ。

 神と霊界は単に信じればいいという対象ではない。信じようと信じまいと、私たち人間は神と霊界との関わりの中で生きているのだ。
 創造主である「神」なくして被造物である「私」は存在し得るものではないし、望もうが望むまいが、霊界は常に地上と一体の世界として互いに影響を与え合って存在しているのだ。

 それが、私が身をもって体験してきた事実であり、このような体験記を書かずにはいられなかった最大の理由でもある。

 宗教とは、神と霊界、そして人間存在の本質に関わることである。
 霊界というものがピンと来なければ、このように理解すればよい。先祖たちが死後、すなわち肉体を失った後、永遠の生命体である霊人体で暮らす場所だと。

 父の事故をきっかけに母に“神”が入り、その神が父の命を救ってくれたことから、私は母と共に神道の信仰を持つようになった。

 それは決して盲目的な信仰ではなかった。父の奇跡的な回復、母を通して見せられた数々の霊的な役事。悩める者や病人を癒やしたことばかりではない。まさに霊人や天使たちと日々交流し、対話を重ねながら生きてきた事実そのものが、私の神と霊界への信仰であった。

 姉を通して私は家庭連合の存在を知るようになったが、同時に須佐之男大神(すさのおのおおがみ)をはじめ“神々”による霊界からの後押しもあった。

 文鮮明(ムン・ソンミョン)先生と初めてお会いした時も、私の守護神とも言うべき金剛龍王大神(こんごうりゅうおうおおがみ)は、「あのおかたでなければ人類を救えないと思う」と証しした。

 霊界に行った父や義父の霊界からのメッセージは私の行く道を照らした。

 「死んだら分かるけど、それでは遅いのだ」と。

 父のその言葉は今でも私の心から離れることはない。
 そうなのだ。死んでからではなく、死んだ後のことを地上で生きている時に知らなければ、死んでからでは遅いのだ。
 だから私は生かされ、地上の人々に神と霊界を証しする伝道者としての使命と責任を与えられているのである。

 「神様はいつも共にいる」
 「神様はいつも見ている」

 これは母を通して教えられてきた事実であり、私の座右の銘である。
 間違いなく神はいつも共にいらっしゃり、常に私たちを見ているのだ。

 ならば前代未聞の一宗教団体への執拗(しつよう)な大迫害の行方はどうなるのだろう。

 ある人は、奇跡が起こると信じてその時をひたすら待ち続ける。
 ある人は、「神は沈黙したままではないか」と決めつけ、神などいるものかと不信して出ていってしまうかもしれない。

 私はこう考える。
 神と霊界はいつも私たちを見ている、神と霊界は全てを知っているのだ、と。

 だからこそ、私は私の責任を果たして生きていこう。
 神を中心として生きてこそ、私は生きた者となる。

(終わり)

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 「神様はいつも見ている~小説・K氏の心霊体験記~」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。