日本人のこころ 64
紫式部『源氏物語』(下)

(APTF『真の家庭』285号[20227月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

大河ドラマの主人公に
 2024年のNHK大河ドラマでは紫式部の生涯が描かれます。主演は、連続テレビ小説『花子とアン』でヒロインの村岡花子を演じた吉高由里子さんで、「まひろ」という名前で登場します。

 脚本は恋愛ドラマで定評のある大石静さん。連続テレビ小説『オードリー』や大河ドラマ『功名が辻』の脚本も手掛けて、紫式部の私生活については史料が乏しいので、自由に想像を膨らませることでしょう。

 タイトルは「光る君へ」で、光源氏が原文では「光る君」と書かれていることによります。桐壺帝の第二皇子として生まれ、母は帝に寵愛されながら早く亡くなった桐壺更衣。「光る君」とあだ名されたように、光り輝くような容姿の美しさに加え、頭脳明晰で和歌にも音曲にも長け、愛嬌にもあふれ帝をはじめ多くの人たちに愛されました。

 理想の男性ですが、多くの女性を愛したので、恨みを抱かせた女性もいました。皇族は姓を持たず、臣籍降下の際に姓を賜ります。その代表が「源」で、源頼朝などと同じですが、光源氏の場合は一世だけの姓です。

 光源氏のモデルは、生い立ちや境遇が似ている源融(みなもとのとおる)説が有力ですが、ドラマでは紫式部の才能を認め宮中の女官に抜擢した藤原道長を想定しています。夫と死別した紫式部が道長の妻になることはなかったのですが、生涯心を寄せ、陰に陽に影響し合いながら人生をたどった人です。

 藤原道長は摂政・関白・太政大臣を務め、長女の彰子が一条天皇の皇后になったことから、後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父として絶大な権力を振るうようになります。その彰子の家庭教師に紫式部を招いたのが、二人のかかわりの始まりです。一条天皇の皇后には先に道長の姪の定子(ていし)がなっていて、その女官が『枕草子』を書いた清少納言でした。紫式部は、そのライバルのような意味で抜擢されたのです。

 京都の南にある宇治は『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台で、平安時代初期から貴族の別荘が多くありました。その一つ道長の別荘「宇治殿」を、子の関白頼通が開いたのが世界遺産の平等院です。

 平等院鳳凰堂を見て思い浮かべるのは道長の歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」でしょう。傲慢の極みとも感じられる歌ですが、道長自身は仏教に深く帰依し、阿弥陀如来による浄土往生を願っていたので、平等院の本尊は阿弥陀如来です。平等院の近くには「宇治市源氏物語ミュージアム」があり、牛車や平安時代の調度品のレプリカ・六条院の縮小模型の展示などが楽しめます。

 仏教による国づくりが概成した奈良時代の仏教はまるで学問のようで、東大寺や薬師寺などの寺は今の大学の学部に当たり、若い空海も大安寺に住みながら、それぞれの寺に出向いて仏教を学んでいました。それが平安時代になると、人々を救済する宗教としての役割が重視され、最澄らにより法華経を中心とする大乗仏教が本格的に導入されたことから、救済、極楽浄土の往生が貴族らにより真剣に求められるようになります。

 権勢を極めた道長も、苛烈な権力闘争の果てに、一人の人間として仏教に帰依するようになったのでしょう。そうした時代的雰囲気が『源氏物語』を生んだとも言えます。

▲宇治川沿いの紫式部像

明石の君と紫の上
 『源氏物語』に登場する多くの女性の中で、一番好ましく思うのは、須磨に流された光源氏が明石で出会った明石の君です。父は源氏の母桐壺更衣の従兄弟にあたる元受領の明石の入道で、後に源氏の一人娘を産み、彼女が今上帝の中宮になることで、源氏最愛の紫の上と花散里(はなちるさと)に次ぐ地位を得ます。

 見事なのは、一人娘を子のない紫の上に預け養育してもらったことで、源氏が愛した女性たちから恨まれることのないよう、自分を抑え、慎重に振舞います。紫の上は、臨終の際に、宮中の常識を超えて明石の中宮が彼女を見舞い、実の子のように看取ります。人々の悪い思いに陥らず、やさしい思いで包まれるようにする生き方が、母から娘に受け継がれているようです。源氏が愛した女性の7割は出家するのですが、紫の上は出家することなく、安らかな死を迎えます。

 『源氏物語』の最後、いわゆる「宇治十帖」に登場する浮舟は、源氏の次男薫と今上帝の三の宮・匂宮(におうみや)に愛され、葛藤から入水自殺を図るという悲劇です。次の世代に、よりよい世を受け渡すのが人としての使命であり、物語が孫子の世代に及ぶことで、そのことがよく分かります。

 幸い、浮舟は死に至らず、比叡山横川の僧に助けられ、やがて尼になります。この僧のモデルが『往生要集』を書いた源信とされ、浄土での救いを求める当時の人々の思いが感じられます。

オリジナルサイトで読む