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新 堕落性の構造 29

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

9 二重生活の偽悪主義者

◉不信から生じた副作用
 そもそも偽悪は、対人不信感から始まっています。自分の気持ちを分かってくれないと思い込んだり、ひどく心情を傷つけられたりすると貝のように心を固く閉ざして、本心を隠して生活するようになります。堕落して罪人となっている人類は、だれも信じられる人はいないというのは当然でしょう。

 しかし、それでも神は堕落人間を救おうとして義人、聖人を遣わして努力してこられました。したがって、人間は堕落したといっても、全面的に信じられないのではなく、神が働いている部分は信じられるのです。否、信じなければいけないのです。それが分からなくて、一、二回、人が信じられなかったとか、自分が傷つけられたからといって、「もうだれも信じられない」と言うのは間違っています。

 人を信じないというなら、自分も他人から信じられない存在となるのです。それは、神の事情と心情を理解しない立場で、自己中心に判断したことによって罪になるのです。すなわち、堕落性本性の一番目にある、神の立場に立てなかったという条件に引っかかっているのです。

 それから、偽悪に走る人は、感受性の強い人です。こういう人は、罪の世では傷つくことが多いのですが、本来は神の喜怒哀楽を最も敏感に感じるために創造された、神に一番近い、最も愛された人なのです。時には鈍感になりたいと思うかもしれませんが、鈍感な人は神の喜びを少ししか感じない気の毒な人です。それを思えば、感謝こそすれ、不平を言ってはいけません。

 ただし、この世はサタンのほうが強く働いていますから、なまじっか悲しみや不安、痛みのほうを感じるのです。しかし、それから逃れずに、それを神の悲しみの心情と感じて、神を慰める方向へと向かわなければならないのです。だからこそ、人より神を感じる立場にあるのです。それから逃れて、別の自分をつくり出してお茶を濁してきたということは、自己の存在位置を離れて自分だけを守るために努力してきたということで、これも堕落性本性の二番目に触れて、罪とされるのです。

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 次回は、「悔い改めと償いの道を」をお届けします。


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