夫婦愛を育む 186
神様の姿

ナビゲーター:橘 幸世

 神様の悲しみに関する真のお父様のみ言を拝読しました。

 …道を歩いていて、腰の曲がったかわいそうな老人を見れば、「私のお父様も、あのような姿で訪ねてこられたのだなあ!」と考えなければなりません。腫れ上がった労働者の手を見るときも、「息子を探し出そうとする私のお父様は、あれ以上のお姿をされていたのだなあ!」と考え、かわいそうな乞食を見るときも、「この乞食は、乞食ではなく私のお父様だ!」と考えて、頭を下げることができなければなりません。取るに足らない哀れな人生でも、そこには神様の心情が宿っていることを知って、彼が私のお父様だという心で涙を流し、自分の境遇や自分の威信を超越して行動できてこそ、神様を知ることができるのです。1960年2月28日/『世界経典Ⅱ』432ページ)

 これを読んで神様がたどってこられた悲しみの歴史に涙がこぼれる中、主人の母の姿が思い浮かびました。

 90歳が近くなり、あちこちに痛みを抱えながらもなお、子供や孫たちのために心を砕き、できる限りのことをしようと努めている母。その姿が神様の姿と重なってキラキラ黄金色(こがねいろ)がかって見えたのです。

 私たちは幸いこれといった確執もなく恵まれた嫁姑(しゅうとめ)関係にありますが、そんな母をもっと愛し侍っていこうと思いました。

 続けて、身近に住む親族一人一人を思い浮かべると、それぞれが難しい事情を抱えながらも一生懸命生きている尊い存在に見えました。
 そして、神様もそんな一人一人を愛おしく見つめておられるのだ、と感じたのです。

 翌日は、一人の姉妹の歩みを聞く機会がありました。
 環故郷したメンバーが増えてできた教会のため、この地に来るまでどんな路程を通過してきたのか、同じ教会に通っていながらお互いによく知らないまま歳月がたってしまっている場合がままあります。

 それで、グループの集まりで順番に話をしてもらっています。誰の話を聞いても、神様が共にいらっしゃり、導いてこられたことに感動します。同時に、その人に対する距離も縮まる気がします。

 淡々と話す彼女でしたが、一つ一つの出来事を聞くごとに彼女が通過したであろう心の世界を想像して、胸がいっぱいになりました。
 たくさんの苦労の中でも、神様の導きを感じ歩み続けてきた彼女は、本当に尊い存在だと感じました。

 そして、彼女だけでなく兄弟姉妹一人一人が同様に、神様が共におられる尊い存在だと改めて思わされました。尊い存在は尊く大切に扱わなければ……そう心に留めおきたいです。

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