(『祝福家庭』77号)
【第1祝福】「個性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「従順、柔和、謙遜」に関するみ言(1)

 従順と服従は違います。服従には自己意識がありません。従順に従うというのは、自己意識をもって従っていくことを意味します。神様は、服従する立場、自己意識のない立場ですべて投入したというのです。神様がそのようにアダムとエバを造ったので、アダムとエバに求めることも、絶対信仰の上で絶対愛、絶対服従をすることなのです。


天一国経典『天聖経』第12篇・第3章・第5節・98


 常に柔和、謙遜で、その人がしようと言うとおりに従順、服従、屈服しなければなりません。それは、その人を完全に占領するためです。人だけを占領するのではなく、その人の全体を占領するための作戦です。したがって信仰世界においては、自分を否定し、代わりに相手の要求に完全に順応していく作戦を取らなければなりません。それは自分自体がなくなるのではなく、相手を完全に占領するための一つの作戦なのです。このようなことを生活において感知しなければなりません。


(同 第4篇・第3章・第3節・20)


 サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分がしなければなりません。そこに一体になって従順にしなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません。それは、死ぬか生きるかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を手探りしていかなければならないのです。


同 第5篇・第2章・第3節・10