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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(49)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

自分のものを与えられる

 先生は牢屋の中で話をされませんでしたが、不思議なことに、牢屋の人たちが非常に心を引かれて、いつでもどこでも先生について来る人が、たくさん現れるようになりました。刑務所では、先生を要注意人物としてチェックしており、囚人にもっと御飯をあげるということをえさにして、尾行し、先生のすべての情報を採るスパイを付けたのでした。牢屋では、食べ物がメシヤです。ですから、食べ物をあげれば、何でもやるのです。

 牢屋の中で、先生が誰だか全く分からない人に、幻の中で、先祖あるいは白い髪の毛のおじいさんが現れて、お告げをしました。自分の家から食べ物の差し入れがあると、「お前、何号室にいる596番に、これを持っていってあげなさい」と命令します。それで先生は、全然知らない人からいろいろな食べ物とか、いろいろな贈り物をもらいました。

 先生は、その人に何かを返さなければならなかったので、私たちの所に手紙を出して、着物やら、米の粉などの食べ物や、ふとんを送ってほしいと頼んでこられました。その当時、平壌には信仰を固く守っている霊能者のおばあさんがいて、いろいろな物を準備して、差し入れたのです。

 先生はそれを受け取られると、そういった人たちに全部分け与えました。次の面会の時に、その着物を着ていらっしゃるだろうと思って行くと、前と同じ、つぎ当ての古い服を着ていらっしゃるので、「これは本当に、届いていないのではないか」という疑いをもちました。ところが先生は、さっきお話ししたように、朴さんとか金さんとか12人の弟子に、全部分け与えられたのでした。この人たちは、騎手とか技士、軍人などで、それぞれ先祖から、天から直接、啓示があった人たちです。

 刑務所では食事が少ないため、世論の風当たりも強かったので、外から親戚や父母たちが差し入れするのは許可していたのです。獄中では食物が差し入れられると、他の人が食べてしまわないように、その人は、眠る時もそれを枕にして眠るのです。

 さらに牢屋の中では、差し入れの物を隅に置いて監房を出ると、出ている間に、全部盗まれてしまうということも起こりました。

 牢屋の中にもどろぼうがいます。理解できますか。牢屋の中にもどろぼうがいるのです。外から食べ物が入ってくると、それは部屋の中に置いておくようになっていますから、それを盗んで食べるのです。ですから眠るときには、枕にして寝るのです。ところがある時、先生がそれを部屋の隅に置いていたところ、相当なくなりました。食べ物がどれくらい残っているかは、先生よりも周りの人たちがよく知っていました。

 自分に関係ない食べ物であるならば、興味があっても、どれくらい残っているかはよく分からないものです。先生は召し上がる時には、必ずみんなと一緒に食べられます。そのためメンバーたちは、先生のものというよりも、「私のものだ」という考えをもつようになっていました。ですから、今これくらい残っているはずなのに、もっと減ってしまったということが、先生よりもよく分かったというのです。その人たちは、おなかがすいていたので、だんだんそれが減ってなくなっていくと寂しくなったのです。

 彼らは、誰がしたのかよく分かっていますから、「その人をやっつけようと思います。いかがですか」と先生に訴えたのです。先生は、何も言わずに黙っていらっしゃいました。なぜ囚人たちは、やっつけようと考えたのですか。それは先生のものではなく、自分のもののように考えて「私のものがなくなった」と考えたからです。ところが、実際は自分のものでないから、先生に聞いたのです。先生は、その人を全然罰しませんでした。夕方になり、食事が全部終わって、寝る前の時間のことです。

 先生は、全員を座らせて、食べ物を真ん中に置き、盗んだ囚人に器をあげながら、「お前が食べたいだけ盛って食べなさい」と言われました。周りの人たちは、非常に不満でなりませんでした。罰を与えると思ったのに、かえってその人にばかり与えようとされたからです。

 ところが彼は、以前に取って食べた負債から、頭を下げただけで、手を出すことができませんでした。彼は、それを持っていこうとはしませんでした。すると先生は、器にいっぱい盛って、彼にあげました。自分が悪かったということは、自分自身で分かるのです。ですから、自分が誤っていることをその人が悟っている時には、責めるものではありません。先生のようにもっとあげると、その人は叱られるよりも、何百倍もの感謝で受けるようになるのです。

 先生は、そういうふうに一緒に生活していらっしゃいましたが、天から見れば、その人たちは、本当は先生と一緒に座ることも許されないのです。霊通する人の体験を聞いてみると、そういうふうに教えてくれました。「先生の足に土を付けてはいけない、付けさせてはいけない」というふうに教えてくれたのです。しかし先生は、そういう立場、状況においては、その人たちと一緒に、何の区別もなく生活されました。

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 次回は、「『神の前の私』を考える」をお届けします。


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