(『祝福家庭』76号)
【第1祝福】「個性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「喜びながら歩む」に関するみ言(3)

 悲しみにぶつかったあとには、必ず代価があります。地上で蕩減する過程の中で、本当に善の立場で悲しい涙を流せば、必ず善の喜びが来るのです。ですから、悲しみを十ほど受ければ、喜びが千ほど訪れるというのです。そのような生活を感じるので、信仰生活を続けるのです。十ほどの悲しみを越えても、一ほどの喜びしか訪れないとすれば、そのような喜びは何日かすれば下がっていくようになっています。本当に天に従っていく道は、真の悲しみを受ければ真の喜びが、「私」が想像できないほどの喜びがやって来るのです。私が受けられず、私が感じられなければ、自分の妻や自分の子女、自分の先祖にそのような喜びが訪れるというのです。ですから、すべての出来事を軽率に扱うことができないのです。いつでも神様に侍り、相談する姿勢で生活しなければなりません。心が重苦しければ、座って祈りなさいというのです。


(天一国経典『天聖経』第9篇・第3章・第4節・13)


 正午定着です!  四位基台に影があってはいけません。正午定着すれば、神様が頂上から降りてきて、すべてが喜ぶのです。
(同 第12篇・第3章・第2節・2)


 幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。


(『平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝』343)