(『祝福家庭』76号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「喜びながら歩む」に関するみ言(1)

 人類が遭遇するあらゆる苦痛を自分の苦痛として、人類が喜ぶあらゆることを自分の喜びとして感じられる立場に立っていらっしゃるのが神様なので、そのような神様のみ前に祭物の場に出ていく存在は、人類が喜び、神様が喜ぶことのできるその場に歩調を合わせなければなりません。


(天一国経典『天聖経』第8篇・第2章・第4節・40)


 心と体が主体と対象の関係になっていて、その相対の位置と環境条件が一致しているときは、喜びで出発するのです。悲しみで出発するのではなく、喜びで出発するようになっています。喜びの内容が最初であって、悲しみの内容が最初ではありません。堕落とは何でしょうか。悲しみの内容が最初であり、喜びの内容はスタートもしなかったというのです。復帰の運命の道を求めていく私たちとしては、み旨を喜びの内容として出発し、喜びの過程として消化させてこなければなりません。
(同 第8篇・第2章・第6節・14


 真の愛でために生きれば上がり、自分を愛すれば下っていきます。地獄と天国が自分を中心としてできています。体を中心として喜ぶときは、サタンの舞踏場になり、心を中心として絶対的に喜べば、神様の舞踏場になります。神様が喜べる絶対的な心になれなかったというのです。体を中心として絶対的に喜べば、地獄に落ちて滅び、なくなってしまうのです。
(同 第8篇・第2章・第3節・5)