私の心の中にいる神様 110
「お便り&コメント」シリーズ⑯
人と比較して落ち込んでしまいます

 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、本然の自分を取り戻していくことができます。
 今回は、「自己牧会プログラム」事務局に寄せられたお便りと、それに対する同事務局からのコメントをご紹介しましょう!

 自分と人を比べて、寂しさを覚えてしまいます。

 例えば、「あそこの家庭は奥さんが働かなくても生活できていて、天寶家庭になれたのに、私は働いていて、氏族伝道する時間も取れない」とか、「あの人は家を持っているのに、私なんか団地住まい」とか、「あの人の子は頭が良く、いい大学に入っているのに、うちは勉強できる子は一人もいない」などなど……。

 ついつい、「この差は何?」と落ち込んでしまいます。

 み言を学び、信仰生活をしていても、こんな気持が湧いてきます。どうしたら比較をやめて、幸せを感じることができるでしょうか?
(女性 50代)

 確かに、お金に不自由がない人、伝道ができている人、いい大学に行っているお子さんを持つ人を見たら、うらやましくなります。皆、同じです。
 経済、能力、地位、教会での実績……。数え上げたら、きりがありません。

 こうして私たちは人と比べては、できていない自分を責めてしまうということを繰り返しています。
 これは誰しもが持つ課題であり、誰もが陥るワナです。

 お金があるに越したことはありませんが、なくても大丈夫です。勉強ができるに越したことはありませんが、できなくても大丈夫です。
 それらが満たされているからといって、そのまま幸福に直結しているとは限りません。

 どんなに能力や地位、お金があったとしても、人を否定して葛藤し苦しんでいたら、幸福とは言えません。こうしたものがなくても、感謝して喜んでいる人は幸福です。

 ですから、人と比較するのではなく、今ある幸福、今ある豊かさを感じる努力をしてみましょう。

 団地だって、住みたくても住めない人もたくさんいます。住む家があることにまず感謝しましょう。そして夫がいること、子供がいること、家族がいることに感謝しましょう。

 当たり前のことを至福のものとして感謝する、思いどおりでないこと、受け入れ難いものをも受け入れ、感謝していく人が天国人です。

 ただ、感謝の気持ちを持つには、鍛錬、訓練が必要です。
 私たちの体、思考というものは、常に不足を探し出しては葛藤や恐れをつくり出していきます。その葛藤や恐れを手放し、神様の目、父母の目で見つめる訓練を、ぜひ始めてみてください。

 神様の目と一致すれば、一つの幸福な世界を感じることができます。そうなれば、おのずと感謝の中で生活できるようになるのです。
 そんな天国人を目指す道を、きょうも歩んでいきましょう。

---

☆自己牧会プログラム事務局☆

【メールアドレス】
wakuwaku150830@gmail.com

【ウェブサイト】
https://ワクワクセミナー.com/

---

 次回は、「手を離すことはできない」をお届けします。


◆本編で紹介されている『自己牧会プログラム』の、ワークの内容を詳しく書籍でご覧になりたいかたはコチラ