コラム・週刊Blessed Life 205
一触即発のウクライナ情勢!

新海 一朗

 現在、ウクライナ情勢は予断を許しません。「一触即発」という言葉がピッタリです。そもそも、なぜ、ウクライナはこのような軍事的緊張に置かれなければならないのか。冷戦終結後から今日までの30年間に起きた出来事を振り返ってみる必要があります。

 199112月にソビエト連邦が崩壊し、その構成国であったウクライナは国民投票で9割の支持を得て独立国家になりました。

 ロシアとヨーロッパに挟まれているウクライナは、独立以来、ロシア寄りか、欧米寄りかで揺れ動いてきた歴史があります。

 2004年の大統領選挙は「オレンジ革命」と呼ばれ、大混乱を招いたことで知られています。親ロシア派のヤヌコビッチ候補と親欧米派のユーシェンコ候補が争い、ヤヌコビッチが勝ちました。

 しかし、選挙不正があったとして親欧米派の国民が騒ぎ、連日激しいデモを起こしました。結局、選挙のやり直しの結果、勝利の軍配は欧米派のユーシェンコに上がりました。
 これが「オレンジ革命」です。支持者がオレンジ色をシンボルカラーとしたことに由来します。

 オレンジ革命後、ウクライナは欧米寄りにかじを切ったものの、ロシア寄りの人々との間に深刻な亀裂が生まれ、2010年には親ロシア派のヤヌコビッチ政権が誕生します。

 2013年、ヤヌコビッチはEU(欧州連合)との自由貿易協定締結を直前で凍結しました。これを機に、怒り狂った親欧米派が大規模な反政府デモを起こし、多数の死者が出ました。議会は職務不履行としてヤヌコビッチの解任を決議、政権は崩壊しました。

 その後の大統領選で当選したポロシェンコ大統領は、2014年、ウクライナを親欧米路線へ戻しますが、このような事態をきっかけに親ロシア派も行動に出ます。それが2014年、3月にクリミア半島で起きた事変です。

 ロシア系住民の多いクリミアは親欧米派の路線に激しい抵抗運動を展開し、ロシア軍の協力を得た武装勢力がついにクリミアを奪還し、プーチンも、クリミアはロシアの管轄に戻ったとロシアへの編入を宣言します。この編入に国際社会は反発し、ロシアの侵略を糾弾し、ウクライナを支持すると声明を出します。

 クリミアだけでなく、ロシアとの国境に近いルガンスク州、ドネツク州もロシア系住民が多いことから親ロシア派の武装勢力が行政庁舎を占拠するなど、ウクライナ側との武力衝突で双方に多数の死者が出ます。
 ロシア側の武装勢力は州の一部を支配し、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の独立宣言をします。

 この事態を収めるべく、20152月、ウクライナ東部紛争に欧州が仲介して「即時停戦」「自治権の付与」などの、いわゆる「ミンスク合意」を締結します。
 しかしその後も紛争は散発的に継続し、「ミンスク合意」は有名無実化した状態で効力を発揮していません。

 プーチンは20194月、ドネツク・ルガンスクの住民を対象にロシア国籍取得を簡易化する大統領令に署名しました。これに対して、20195月にはウクライナの現ゼレンスキー大統領が誕生し、EUNATO(北大西洋条約機構)加盟を目指す方針に変更はないと国民に訴えます。

 以上述べたように、複雑な紆余(うよ)曲折の背景の中で、現在のウクライナを巡る欧米とロシアの駆け引きが続いていることを理解しなければなりません。お互いに一歩も引けない戦いになっているのです。

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