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信仰は火と燃えて 15
奇跡

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(19162003)の、命を懸けてみ旨の道を歩まれた熱き生きざまがつづられた奮戦記です。

松本 道子・著

(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

奇跡
 クリスチャンセンターで、毎週月曜日に行われる早天祈祷会では、祈祷のあと、みんなで朝食をとりながら茶話会のひとときがもたれ、毎週一教会ずつ、自分の教会を紹介し、証(あかし)をしあっていました。その順番が私にも回ってきたのです。

 牧師の中には「松本にやらせるな」と強硬に主張する人もいましたが、賛成してくれる人も多く、その人たちが「この次は松本さんの担当になっていますから」と言ってくれたのです。それで牧師たちもしぶしぶながら承諾し、統一教会の宣伝はしないという約束で、私は証をさせてもらうことになりました。

 牧師たちは、一応承諾はしたものの、それを発表したあとでも、私がこの時とばかりに統一教会の宣伝をするのではないかと随分気を揉(も)んだようです。けれども私としては、初めからそんな気はありませんでした。私はクリスチャンに、神様の心情を伝えたかっただけなのです。

 当日は、120人ほど集まったクリスチャンの前で、神様の愛についての話をしました。自分の身に起こった実際の出来事を例にとりながら、神の愛は親の愛を通して知ることができるということを次のように証したのです。

 私がまだ化粧品のセールスマンをやっていた時のことです。終戦の混乱の中で、激しい生存競争に勝ち抜くために誰も彼もが必死になっている時代でした。私は、朝鮮人というハンディを背負いながら、何よりもまず実力をつけようと人一倍努力していきました。そして、売り上げを伸ばすために行われる販売競争で第一位になったのです。それまでは朝鮮人ということで様々な差別がありましたが、私はついに一流セールスマンになり、会社の中でもとても優遇してもらえるようになりました。そして、その販売競争のあと、会社で慰安旅行に行くことになったのです。

 ところが、私がその旅行に出掛けたその日、旅先に娘が自殺を図ったという電報が届いたのです。

 「ケイコキトクスグカエレ」

 その電報を見るや、あまりの衝撃に手はぶるぶる震え、顔から血の気が引いていくのが分かりました。なぜ? なぜそんなことを! 娘が自殺するなど思いもよらなかったのです。

 私は旅先からすぐ、娘が運ばれた病院へと急ぎました。早く、早くと焦る気持ちの中で、彼女はなぜ死のうなどと思ったのだろう、と考えました。貧乏だから人生を悲観して自殺を思いたったのだろうか。あれこれと考えてみるのですが全く見当がつかないのです。顔は青ざめ、生きた心地がしませんでした。

 病院に着いてみると、娘は臨終を迎える人たちの入る病室に入れられていました。死ぬのを待っている、死の直前の人を入れておく部屋なのです。娘の顔をのぞき込むと、大きな目を見開いて、瞳孔(どうこう)が開いた目で天井を凝視(ぎょうし)していました。体は硬直し、のどには痰(たん)がからんでかすかに息をしているだけで、まさに死の直前の状態でした。その恐ろしいような娘の変わり果てた姿を見た時、私はショックで息が止まるほどでした。

 その瞬間に分かったのです。娘がなぜ死ななければならなかったか、私は娘の顔を見た瞬間、ああ、何か失敗したな、と直観しました。そして、ここまでの事の成り行きに思いをめぐらした時、私の心には娘に対する恨みのような思いがわき上がってきたのです。愛する者に裏切られたような、さみしさと憎しみとが入り交じった複雑な気持ちでした。

 「あなたは私の娘よ、私の子供よ。あなたはお母さんにさよならの一言も言わないで死んでいくの。私がこれまでどれほどあなたに尽くしてきたか、どんなにあなたを愛したか、あなたのために一生懸命働いて努力している私を残して、自分で自分の生命を絶とうなんて、何事ですか」

 私は、もう悲しくて、くやしくて、無我夢中で叫びつつ、薄情な娘にすがって泣きました。泣きながら、助かってくれるように、蘇(よみがえ)ってくれるようにと願ったのです。

 「あなたは私の気持ちを考えず、私を裏切り背いたけれども、誰が何と言おうとあなたは私の子供なのよ。私の娘なのよ。私を捨てて行かないでちょうだい。お母さんは、あなたのためにこんなに苦労して、こんなに愛しているのよ、お母さんの心を知ってちょうだい」

 そういう思いを込めて「敬子、敬子」と泣きながら呼んだのです。三日三晩、私は泣いて祈りました。病室の寝台の周りをぐるぐる回りながら、土下座してイエス様を呼んだのです。

 「これは私の罪です。私は娘を盲目的に愛するだけで、神様を教えることもせず、信仰も与えることができませんでした。私は17歳で結婚し、28歳で未亡人になってからきょうまで、いろいろ悪いこともしてきました。私がそういう多くの罪を犯したために、今娘がこんな目に遭うのでしょうか。私は天罰を受けているのです。私を許してください。神様、私を許してください。どうか娘を助けてください。娘を助けてくださるなら、私はこの身を一生あなたに捧げましょう。私はあなたのために生命をささげます。一生神様のために働きます」

 その時は娘を助けたい一心で、神様の前にとてつもないことを言っていました。もはや医者にも見放され、そこにはもう誰もおらず、死にかけた娘と私だけが取り残されていました。

 三日三晩、寝ないで泣き続けたので、顔が腫(は)れ、次第に体中が腫れておかしくなってしまいました。それでもかまわず、私は大きな声で「敬子!」と呼びながら神様に祈り続けたのです。

 その悲しい祈りの声が、病室の隅々にまで響いていました。

 病院には多くの人が入院していましたが、私が死人の部屋で泣き叫んだり祈ったりしているものですから、入院している人たちは眠れないのです。そんなこととは知らず、私はただ夢中で、子供を救うために、寝台の周りを回りながら祈り続けていました。

 すると、三日目の朝、もう助からないはずの娘の目が動いたのです。私は驚いて、転がるようにして部屋を出て医者を呼んできました。医者が電燈を目に当ててみると、確かに目が動いていました。奇跡が起こったのです。それから病院中が大騒ぎになり、注射をしたり酸素吸入をしたりして、四日目の朝ようやく蘇ってきたのでした。もうだめだと宣告されて四日目に、完全に目が覚めて意識が戻ってきたのです。おしめを洗うために、洗濯場までの長い廊下を歩いていくと、みんなが私の顔を見ていました。私は、会う人ごとに、

 「私の娘は生き返ったんですよ。死んでいた私の娘は蘇ったんですよ」と言って歩きました。するとその人たちは、

 「夜な夜なあなたの泣く声、祈る声を聞いていました。娘さんよりあなたが泣いている姿のほうがかわいそうで、あなたのその祈りがかわいそうで、私たちも祈ったんですよ」と言うのです。

 何の関係もない人が、泣いている私を見るに見かねて、祈ったというのです。異常なほどに嘆き悲しむ姿を見ていて、みんな、私のために祈ったというのです。「あのお母さんの祈りを聞いてやってください」と言って祈ったということを聞いて、私は心から感謝しました。

 私の娘は、私の祈りとみんなの祈りによって生き返ったのです。その後、娘は一週間ほどで退院することができました。

 娘は、自分の生命を絶つようなことをして親を裏切り、親不孝をした子供でしたが、私はすべてを許しました。そして、ただひたすら帰ってきてほしいと祈ったのです。これが親の心というものでしょう。

 堕落した人間の親であってもこのように深い愛情があるとするなら、神様においてはいかばかりでしょうか。神様は、私たちがどんなに罪を犯しても、すべてを許し、早く神様の懐に帰ってきてほしいと願っておられるのです。娘の死を目前にして、私は自分の中にわき起こってくる様々な思いを通して、深い親の愛、神様の愛を知ったのでした。

 イエス様は、「あなたがたは目を覚まして一生懸命伝道しなさい。神の国のために働きなさい」とクリスチャンに対し、いろいろなことを言われています。けれども、私たちはその言葉を守っていないと思うのです。もし私が娘に神様の存在を教え、信仰を教えていたら、娘は自殺などしなかったでしょう。私が眠っていたので、娘は一人で苦しみ、何の解決もできぬままに死を選んでしまったのです。幸い娘は奇跡的に助かりましたが、世の中には同じような人がどれほどたくさんいることでしょうか。

 私たち神を知る者は、神様の存在を伝えなければなりません。それがイエス様の願いです。私たちは眠っていて神様の心を痛めてしまいました。けれども、私たちが悔い改めて神様のために立ち上がるなら、神様はきっと私たちを許して、笑顔で受け入れてくださるでしょう。私はそう確信します。

 神様は私たちの親なので、決して私たちを捨てることができません。私たちがどんなに神様の期待と愛を裏切って離れていったとしても、胸の痛みをこらえながら、私たちを許し救おうとされるのです。私たちが本当に神様の子供であるなら、どんなことがあっても神様の願いに生きなければなりません。今、悔い改めて立ち上がる時が来ているのです。皆様、神様の願いの前にいかに自分が足りないかを悔い改めて、立ち上がろうではありませんか。

 私の証が終わると、みんな大きな拍手をして握手を求めてきました。心の中では警戒しながらも、私が統一教会の宣伝ではなく個人の証をしたので、恐る恐る握手を求めてきたのです。これによって、また一歩クリスチャンの心に近づくことができたのでした。

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 次回は、「親子のきずな」をお届けします。


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