神様はいつも見ている 12
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第1部 霊界が見えるまで
12. 教会を建てる

 わが家は、母が信者さんの相談事に四六時中対応していたので、すでに中身は半分以上、神道の教会のようなものだった。
 しかしそれは生活と宗教の儀式が同じ場所で行われているということであって、正式な教会によるものではなかった。当然、教会としての門標もなかった。

 正式な神道の教会という看板こそ掲げてはいなかったが、噂(うわさ)を聞いて訪ねてくる人々が常に多数集まっているという意味では、すでにわが家は教会も同然だった。
 少なくとも夕方から夜にかけては、“普通の家庭”ではなかった。家族だけで暮らしていたという記憶はほとんどない。

 家に帰っても必ず家族以外の誰かがいたし、来訪者の相談事の内容は耳をふさいでも聞こえてきた。太鼓や鉦(かね)の音が夜遅くまで響いていた。

 なのに、改めて「家を教会にしなさい」とはどういうことだろう。

 母を通して、人助けに専従しなさいということを神様は言いたいのだろうか。

 母は、神様の教えには絶対に従うという姿勢だったので、とにかく神様に言われたとおり早く教会を建てなければならないと考えていた。

 だが父は、借金返済のために家業の土木事業を建て直すことが最優先であり、まずは自分たちの生活を何とかしなければならないと考えていたので、母の言うことには反対していた。

 神様にお伺いを立てるお勤めは、最初に祭壇のある部屋で祝詞から始まった。

 「高天原(たかまのはら)に神留(かむづ)まり坐(ま)す…」で始まる大祓(はら)いなどの祝詞は、神様にささげる大切な時間で40分ほど続いた。

 続いて、相談事を持ってきた人々の先祖のために20分、その問題を解決するための祝詞をささげた。

 毎日が教会のお勤めで忙しいにもかかわらず、どういう訳か家業の方は好転し、数多くの仕事の依頼が舞い込むようになった。次第に苦しかったわが家も経済的には余裕ができるようになった。

 「これも神様のおかげや」

 罰当たりな発言を繰り返していた父もこれには喜んでいた。それほど仕事は順調だった。
 そうなると人間の考えることは皆同じで、家を大きくしようということだった。

 信者さんたちが押し掛けてくる手狭な家をまず建て替え、その上で余力があれば教会を建てようと考えていた。
 まずは生活をするための家が中心で、その後に祭壇などを備えた教会としての施設を充実させていく、それが父の考えだった。

 実際、当時の家は狭かった。私と姉の部屋は母がお勤めをする部屋の隣にあって、4畳半ほどの広さしかなかった。
 事業が順調なこと、子供たちやその他の部屋が手狭なこともあって、家を新しく建てることには家族全員賛成だった。

 ところが計画を立て、家の設計図や間取りを家族皆でワクワクしながら話し合っていると、不思議なことにあれほど好調だった仕事の依頼がパタリと止まってしまったのである。

 最初は、ただ時期が悪いせいなのだとか、些細(ささい)な要因で仕事の発注がなくなったのだろうなどと楽観していた。

 「こんな時期もある。じっと待っていれば、また仕事は増えるやろう」

 そう言っていた父だったが、待てど暮らせど仕事は来なかった。

 父は、持ち前のずうずうしさから強気の営業をかけて積極的に受注しようとしたが、なぜか以前から贔屓(ひいき)にしてくれていた会社も、どこか煮え切らないような態度で断ってくる。
 社会が不景気になったというわけでもなく、なんとも理由が分からなかった。

 で、困ったときの神頼みではないが、きっと何か原因があるに違いないから、神様に聞いてみようということになった。

 この頃には、信者さんたちの相談事、わが家のこと、子供のことなど、日常の事柄も全て神様にお伺いを立てるようになっていた。

 “神様”に尋ねると、「順番が違う」という答えだった。

 「どういうことですか?」

 「事務所を建てる前に、やることがあるやろ」

 父をはじめ私たちは困惑した。
 事務所を建てる前にやることって、神事や地鎮祭のことなのだろうか。

 「違うで。自分たちの家を建てる前に、神様のお社(やしろ)を建てることや」

 なるほどと、父も家族もその言葉を素直に受け入れた。他に手の打ちようがなかったのである。

 考え違いをしていたことを神様に謝り、お告げのとおり、教会を建てることに決めた。
 すると、あれほど滞っていた仕事の依頼が再び来るようになったのである。

 教会を中心とした設計に切り替え、多くの人を迎えるために2階の広間を教会とし、1階に家庭の生活のスペースと土木業の事務所を置くことにした。

 教会が建ったのは、父が交通事故に遭ってからちょうど10年がたった時だった。
 
(続く)

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 次回は、「神は全てを知っている」をお届けします。