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信仰は火と燃えて 11
試練と導き

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(19162003)の、命を懸けてみ旨の道を歩まれた熱き生きざまがつづられた奮戦記です。

松本 道子・著

(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

試練と導き
 広島に行く人も九州に行く人も、みんな一度は大阪に立ち寄るので、私のいる所はおのずと出入りが激しくなりました。当初借りていた部屋は二階でしたので、階下のおじいさんが迷惑がり、いつもいまいましいと思っていたのでしょう。日曜日に聖歌を歌うと決まって「うるさい! やめろ!」とどなるのでした。

 ですから、私たちは遠慮して小さな声で歌わなければならず、水道も下にしかなかったので、とても不自由な生活をしていたのです。けれども、お金がないので、すぐ引っ越すこともできず、しばらくそこで我慢をしていました。

 ところがある朝のことです。私が伝道に出掛けようと思って下りていくと、おじいさんが下で待っていて「松本、きょうすぐ出てくれ、すぐ引っ越してしまえ」と言うのです。けれどもそれはあまりにもむちゃな話で、12月の寒い季節にすぐ出ろと言われても行く所がありません。そこで、「おじいさん、それは無理な話です。1カ月余裕をくれませんか」と頼んでみました。けれどもおじいさんは「すぐ出ろ」の一点張りで、何を言っても聞き入れてくれません。

 揚げ句の果てに「理屈を言うんじゃない、このバカヤロー!」と言って、思いきりこぶしで殴りつけたのです。

 おじいさんは、軍人あがりなので力が強く、私は脳震盪(のうしんとう)を起こしたようになってしまいました。その時の惨めさ、無念さに耐えかねて、私は、はらはらと涙を流しながら立ちすくんでいました。神様のことで論争して殴られるなら我慢もできますが、「出て行け」と言って、神様のことなど何も知らない無知な男に殴られたと思うと、たまらなく無念な思いが込み上げてきて、絶叫したいほどでした。

 その瞬間に、「ああ無念だ。なさけない! 悲しい!」と、絶叫する涙の声が聞こえたのです。「ああ残念だ、わが娘よ」という神様の声が、ザーッと迫ってくるのです。私の目からはらはらと出てくる涙が、神様が泣いている涙のような気がしました。

 神様の悲しい叫びと涙を見て、とっさに私は、「お父様、泣かないでください。大丈夫です。こんなこと問題じゃありません。過去に多くの殉教者がいるではありませんか。イエス様は十字架にかかったじゃありませんか。このくらい殴られたって痛くありません」と神様を慰めていました。

 そんなことをしているうちに、三回目、四回目の拳がとんできました。おじいさんは、真っ青になって「ハッハッ」とあえぎながら殴っているのです。私は、おじいさんを抱え、部屋の中に連れて行きました。そして、水を飲ませ、背中をさすりながら、「おじいさん、きょう中に家を探しますから我慢してください。気を鎮(しず)めてください。すぐ出て行きますから」と言ってなだめ、その家を出ました。

 外に出ると、殴られて髪も着物もくしゃくしゃに乱れた自分の姿が、ドアガラスに映っていました。その格好を見ると、再び無念の思いが込み上げてきて、惨めでたまらなくなってくるのです。路傍伝道用の旗を持って立っている自分の格好が、乞食(こじき)のように思えてきて、伝道に出掛ける力も出ず、どこかの公園のベンチで、一日中でも泣いていたい気持ちでした。

 私の運命はどうしてこう惨めなのだろう。どうしてこんなに殴られなければならないのだろう。食べる物も食べられない。着る物も着られない。こんな惨めな格好をして伝道なんかできやしない。人に笑顔で話もできない。神の国が来るといって人に希望を与えることができない。こんな惨めな私がどうして他人に希望を与えることができるだろうか。どこかへ行ってさんざん泣きたい。

 そんな気持ちで、しばらくとぼとぼ歩いて行きました。そのうち、「これはサタンの声だ!」とハッとしたのです。

 私は天宙復帰という偉大な使命を帯びているのに、このくらい殴られけられたからといってそれが何だ。イエス様は十字架にかかったじゃないか。さっき、「天のお父様、泣かないでください。私は痛くありません。こんなこと問題じゃありません」と言ったくせに、まさしく今の思いはサタンの声だ。サタンよ退け! どこかに行って座って泣きたいなんてもってのほかだ。

 そう思い直すと私の心は強くなり、訓練に来ていた河津さんを連れて一日の歩みを始めました。まず、くず屋を3時間ぐらいやってから関西大学に行って伝道し、夕方は、梅田駅と天王寺駅で路傍伝道、夜は他のキリスト教会の集会に参加して、その日は特に一生懸命に働きました。サタンの声に負けないで、自分の悲しみを押しのけて、「お父様、心配しないでください」と言って、夜の11時ごろまで頑張ったのです。夜、そっと部屋に帰ると、黒板の前に座ってきょう一日やったことを神様に報告し、祈りました。

 「天のお父様、私は負けませんでした。あすも負けないでしょう。あさっても負けないでしょう。あすもこのおじいさんが私を殴っても、私はくじけません。早く他の家を探しながら、一生懸命やります。絶対にサタンに負けて座ったりしません。お父様、安心してください」と、泣きながら祈ってその夜は休みました。

 その翌朝、6時ごろになると、また下のおじいさんが私を呼ぶのです。私は「困ったな」と思いながら下りていきました。ところが、きのうとは全く様子が違っているのです。きのうは心臓まひを起こすほど怒ったおじいさんが、きょうは私を抱き抱えるようにして、「きのうは年がいもなくあんなことをして、本当にすまなんだなあ。あんたは神様の仕事をやっているのに、私はそういうあんたを殴ったりして、堪忍しておくれ、堪忍しておくれ」と泣くではありませんか。あまりに意外な出来事に、私はただ驚くばかりでした。

 その一週間後、思いの外早く家が見つかり、引っ越すことができるようになりました。引っ越しの日、手伝いに来ていた田中さんに、そのおじいさんは「私は60年の人生を過ごしてきたけれども、松本さんのような人格者は見たことがない」と言っていたということでした。

 西川先生にこのおじいさんの話をすると、先生はとても喜んで、「向こうが謝ったということは、サタンの息子が神の娘に自然屈服したということだ。松本さん、本当によく忍耐したね」と言って褒めてくれました。私の心が喜びに震えたことは言うまでもありません。

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 次回は、「神戸の種火」をお届けします。


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