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青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言(18)

 36家庭の朴普熙(パク・ポーヒ)先生(1930~2019)による講演「青年よ行け、そして世界を救え」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。

(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)

五、神と再臨の救世主、共産主義から人類を解放

歴史的な写真②

 ここで私は、何枚かの歴史的な写真を皆様にご紹介したいと思います。(4回に分けて紹介します)

9. 1993年7月28日、文鮮明師令夫人韓鶴子総裁はアメリカ議会で、上下両院の議員たちの前で演説されました。

10. オーリン・ハッチ上院議員が紹介なさいました。

▲一番下のサインがクリントン前大統領の署名

11. その後、韓総裁の議会での家庭愛の演説に感動したアメリカの議会は、その日を記念して「父母の日」制定法案を通過させ、クリントン大統領が署名。7月28日が「父母の日」として、アメリカの永遠なる祝日となりました。こんなことはアメリカの歴史にかつてなかったことでありました。

12. 世界一の勝共指導者、文鮮明先生は、1991年12月6日、韓半島の平和のために北朝鮮を訪問。金日成主席と熱い抱擁をなさって、世界をアッと言わせました。レバレンド・ムーンはこの歴史的訪問で、韓半島をもう一つの、戦争の危機から救われたのでございます。北朝鮮を孤立に追い込むよりは、真の愛をもって開放へと導くのが、北東アジアの平和に貢献することだと信じたからでございます

13. その時、文先生は金主席と、兄弟の縁を結びました。

14. 二人は手を堅く握り合って、正に何十年ぶりに会った兄弟のようでありました。

15. 記念写真も手を握ったまま撮影しました。このようなことは、かつてあの国になかったそうです。金主席は写真を撮る時は、いつも手を後ろに組むのが通常だそうです。それが、次の写真で証明されました。

16. 私たちの番になると、こんなに違ってきました。私もこの次は、と思いましたが、もう金主席の手を握る機会は永遠になくなりました。

17. けれども、1994年7月8日、金主席が亡くなった時、私はレバレンド・ムーンご夫妻を代表して、北朝鮮に行き、弔問をいたしました。

18. このたびは、私も金正日最高司令官と手を握って写真を撮りました。

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 次回は、「歴史的な写真③」をお届けします。