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信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩まれた松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。

松本 道子・著

(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

聖別された群れ
 40日の開拓のあと、今度は学生伝道を始めました。お茶の水駅の近くにキリスト教学生会館があったので、そこの掲示板で聖書研究会のある曜日を確かめ、出掛けていったのです。お茶の水には、明治大学や中央大学などたくさんの大学が集まっていて、聖書研究会にも多くの学生が集まっていました。

 そこで出会った最初の人が、小河原節子さん(現、桜井夫人)でした。聖書研究会の日、私は十分ほど早く会場に行きました。すると彼女も早めに来て待っていたのです。私はさっそく「あなたも聖書研究会にいらしたのですか」と声をかけ、二言三言話をしました。その時、このお嬢さんだ、と探していた人に出会ったような感動が胸に込み上げてきたのです。そこで、研究会の間中、どうかこのお嬢さんと話ができますように、と心の中で必死に祈っていました。

 そして、聖書研究会が終わると、急いで小河原さんのそばに行き、「もう少し神様のお話をしましょうよ。今晩の牧師さんのお話、分かりましたか」と誘ってみました。彼女は、私があまり熱心に言うので、根負けして仕方なしについて来ました。

 私は、近くの喫茶店に入ると、椅子(いす)に座るやいなや、創造原理の講義案をぱっと広げて見せました。それを見せながら、神様のこと、宇宙のことを説明したのです。彼女は、その話を興味ありそうな顔をして聴いていました。

 彼女は専修大学の学生で、いろいろな話をしたあと、「すばらしい先生が日本にいらしているのですが会ってみませんか」と言うと、「一週間後なら時間があります」と言って、再会を約束してくれました。私はその日が来るのが待ち遠しくてたまりませんでした。40日間の開拓伝道の時には、多くの人と約束はしましたが、一人も来てくれなかったのです。

 約束の日、駅の改札口で待ち合わせていたのですが、私は待ちきれなくて、入場券を買ってホームまで上がっていきました。すると帽子をかぶった小さな学生姿の彼女が、ちょうど電車から降りてくるところでした。私は、彼女の姿を見たとたん、懐かしくて懐かしくて、思わず走り寄って彼女を抱きかかえていました。そして、「よく来てくださいました」と言って、抱きかかえながら駅の改札口を出たのでした。

 彼女はただ約束どおり来ただけなのに、私があまり懐かしがって喜ぶので不思議で仕方がなかったそうですが、私にしてみれば、約束を守って来てくれた最初の人で、それは涙が出るほどうれしかったのです。

 そのころ西川先生は、昼間はアルバイトをして働き、夕方から、大久保駅の裏通りにある町工場の事務所を借りて講義をしていました。先生が掛けた看板が見えてくると、私は少しでも早く先生を喜ばせたくて、先に走っていきました。彼女を紹介すると、先生はちょっと話をしただけですぐ講義を始めました。

 私は、もう個人では先生の講義を聴くことができません。人を連れてきて、その人が聴く時に初めて一緒に聴くことができるのです。ですから、この講義は、私にとっても40数日ぶりに聴く講義でした。一緒に創造原理を聴きながら、私の心は躍りました。創造主なる神様を一層深く心で知ることができ、感激の涙が流れてなりませんでした。

 隣を見ると、小河原さんも泣いていました。「神様は、人間を神様の喜びの対象として、また万物を人間の喜びの対象として創造されました。ところが人間は堕落して、万物より劣った存在となり、神様に喜びをささげることができなくなってしまったのです」。講義がその場面に来ると、彼女ははらはらと涙を流して泣いているのです。それを見ながら、この人は神様の心が分かるすばらしい人だと思いました。その日から、彼女は毎日学校の帰りに事務所に来るようになり、一緒に伝道するまでになったのです。

 その後、岩井裕子さん(現、神山夫人)というクリスチャンの乙女をはじめ7人くらいの学生が集うようになると、事務所の一室では狭くなってきました。そこでアパートを借りて共同生活をしようということになり、みんなで苦労して探し、飯田橋に四畳半に小さな台所がついただけのアパートを見つけました。私たちは、それぞれ自分の財布をはたいてお金を出し合い、『原理解説』という本を300冊作ってから、飯田橋のアパートに引っ越しました。

 ようやく共同生活をしながらの本格的伝道生活が始まりました。しかし、もうお金も食物もありません。そこで、初めのうちはパンの耳や、麦だけの御飯でおにぎりを作って食べました。また、「猫にやるからちょうだい」と言って、魚屋で魚の頭や骨をもらい、「鳥にやるからちょうだい」と言って、八百屋で大根の葉をもらってきて、それを一緒に煮て食べるのです。冬になると、麦のおにぎりは固くなり、ポーンと投げるところころ転がるのです。それを洗って、ガリッと食べました。考えてみれば本当に貧しい食事でしたが、それがとてもおいしくて、自分たちが貧しいなどとは思いもしませんでした。

 とはいっても、いつまでも一文なしの生活では何もできないので、みんなで相談してアルバイトをしようということになったのです。その時、「くず屋をやったらどうでしょうか」と提案がありました。私には娘が二人いますが、下の娘が鉄くず屋のところにお嫁に行っていました。それがふと頭に浮かんで、ちょっとみっともないけれど、自由な時間に働いて自由に伝道するには、くず屋さんがいいなと思ったのです。

 西川先生はそれを聞いて、「神様の摂理は再創造の摂理だから、我々人間も新しく造りかえられる。万物もくずから新しく再生される。それはいい考えだ、やりましょう」と言われ、みんなでくず屋を始めることに決まりました。

▲廃品回収をして伝道資金に(左から2人目が筆者)

 朝は6時に起きて7時まで礼拝し、さっと御飯を食べて廃品回収に出掛けます。みんな仕事着であるもんぺにはきかえ、リヤカーを借りて、あちらの角、こちらの角と別れていきます。そして1時か3時ごろになると、みんな汗をだくだく流して仕切り屋に集まってくるのです。西川先生は、いつも一番多くて2000円くらいもうけました。私たちは、どんなに頑張ってもせいぜい800円でした。

 もらったお金は全部、会計をやっていた春日千鶴子さん(現、ロニオン夫人)に預け、みんなで連れだってそば屋に行きました。そこで35円のおそばを食べるのです。

 いつも麦御飯とみそ汁だけですから、それがとてもおいしくて楽しみなのです。舌にとろける甘い味。もっと食べたくても、一杯で終わりです。甘いものが好きな人は、「35円分だけ大福もちが食べたい」と言って、大福もちを食べました。

 それから、二人ずつ組んで路傍伝道に出掛けます。私は、岩井裕子さんと有楽町に行きました。裕子さんは高い声で、とても分かりやすい言葉で道行く人に訴えます。「御通行中の皆様、天来の声に耳を傾けてください。私は日本を救うジャンヌ・ダルクです。この滅びゆかんとする日本を救うために、心を痛め、涙する良心家はいないのですか」。たくさんの人が集まっている有楽町の駅前で、18歳の乙女が訴えるのです。笑って通り過ぎるアベックもあれば、「ああ、日本に若い乙女の神様がやって来た」と拝んで行く人もありました。

 夕方は、他のキリスト教会の集会へ行ったり、訪問伝道をしたりして、帰ってくるのは夜の10時ごろです。それから御飯を食べて、12時まで原理講義の演習をしました。それで一日のスケジュールは終わりですが、まだまだみんな寝ようとしません。それから、西川先生を囲んで天国の話を聞くのです。

▲西川先生を囲んでの食事(左が筆者)

 私は「先生、霊界が満員になったらどうするんですか」と聞きました。ある人は「天国ができたら、おしるこの風呂に入りたいです」と言うし、小河原さんは「私はお菓子の家が欲しいの。柱をとって食べてもまたすぐできるような、そんなのできますか」と聞くのです。まるで小さな子供のようです。先生はあきれて「できますよ」と答えるのです。私は、理想世界ができたら、羽をはやして空を飛んでみたいなどと、思っていました。そうやって話していると、すぐ2時、3時になってしまいます。翌日はまた同じように仕事に行くのですが、3時間ぐらいの睡眠でも、毎日が楽しいから疲れないのです。朝出掛ける時などは、イエス様を中心として、弟子がぞろぞろまとわりついて歩いたように、私たちも西川先生を中心として、日焼けした顔に目をきらきら輝かせて、天国の話や信仰の話をしながら歩きました。

 私たちは、この世から全く聖別された小さい群れでした。先生は、過去の堕落性をみ言(ことば)によって直し、神の子の権威と品性と実力をもって人の倍働くようにと、愛と真理で教えてくださるのです。

 生活指導も細かく、「髪をとかす櫛(くし)は、みんなが一つを使うのですから、あとの人のことを考えて必ず紙でふいておきなさい。食事をする時は、あとの人のことを考えて食べなさい」と一つ一つていねいに教えてくださいました。そして、「神を愛する者は兄弟を愛する。だから悪いところを見たら、まごころから忠告しなさい」と兄弟を愛することを教えるのです。

 また、先生は、男性や女性を異性として見るのは心の中に蛇が入っているからだと言って、みんな兄弟として育てました。ですから私たちは、お互いに異性としての意識は全くなく、懐かしい時は抱き合ったり握手したりして、心の純粋さはまるで子供のようでした。時には先生は、掃除、洗濯、炊事をみんな一人でやってくださり、めんどりがひなを抱くように、温かく、やさしく、細かく、また厳しく私たちを育ててくださったのです。

 そうして生活の訓練、信仰の訓練、祈りの訓練をした上で、私たちは地方に開拓伝道に行くことになるのですが、この時は、西川先生と別れるなどとは夢にも思わず、先生の愛のみ手の中で、幸せな毎日を送っていたのでした。

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 次回は、「一粒の麦として」をお届けします。


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