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日本を愛した文先生の足跡(6)
名古屋

(光言社『グラフ新天地』388号[2000年11月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
 

 8月24日に迎える文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

名古屋は天宙における最も古い名高い家

 1960年代から70年代にかけて、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生はたびたび名古屋を訪問されています。

 最初に訪問されたのは196521日から2日にかけてです。

 1日午後1時、特急ひかり号で東京を出発され、午後330分、名古屋駅に到着されました。数十人の歓迎陣に迎えられた文先生ご一行(文鮮明先生、崔元福〈チェ・ウォンボク〉先生、崔奉春〈チェ・ボンチュン〉先生、久保木修己会長、阿部トミ子さん)は車で名古屋城、テレビ塔等を見学され、4時半ごろ、教会に到着されました。

 名古屋について文先生は「名古屋は一番古い家、つまり天宙における最も古い名高い家。それはアダムの家を象徴しており、古い故郷を思い出させる」と語られました。その後、聖歌「新エデンの歌」を自ら力強くリードされ、集まった教会員たちは心身ともに満たされた楽しいひとときを過ごしました。

 翌2日の朝、文先生は東山の高台に聖地を決定され、聖別式を行われました。教会に戻ると、正午近くからお話をされたり、質問を受けたり。出発の予定時刻が迫ると、歌う聖歌も涙声に変わります。「先生は名古屋に来て安心しました」と語られ、午後2時車中の人となられました。

▲東山の高台に聖地を決定(196522日)

 名古屋では「天下統一之星」「香花盛園之都」「嵐の風けば香り高く名高古屋の歌」という揮毫(きごう)を下さいました。

▲文先生が下さった揮毫(196522日)

人が見ていなくても神に報告しながらやる

 二度目に名古屋に来られたのは196778日から9日にかけてです。「我々は、下がれば下がるほど、大きい心情が分かるんだね。…父母の心情はかたわの息子に対して、立派な息子に対するよりも、心情的には近いんだね」とみ言を語られました。

 196923日には名古屋でリトルエンジェルスの公演をご覧になっています。

 また1972430日から2週間、名古屋の守山修練所で世界統一十字軍の修練会が行われました。修練会の中で文先生は「父母と共に闘おう」(430)、「自分を信じよう」(5月)という題でみ言を語られました。

▲第3次世界路程ご帰還歓迎会で、表情豊かに身ぶり手ぶりで語られる文鮮明先生(1972430日、名古屋教会)

 「何事をなすにも蕩減だと思って真剣にやる。その仕事の中に自分が蕩減を越えるかも分からないんだから、すべては真剣にやる。人が見ようと見なくともそれは関係ない。…人が見ても見ていなくても神と一対一によって報告しながら、一歩一歩前進する価値を自分なりに積み重ねていくというような生活態度が必要ですよ。そういうように行く者は、決して堕落とか、あるいは絶望とか、そういう立場に絶対おちない」

▲統一十字軍結成の修練会でみ言を語られる文先生。500人が参加したため、守山修練所の2階講義室に入りきれず、急きょベランダまで広げて急場をしのいだ(1972年5月1日)

 53日には「世界献祭 統一十字軍」「萬苦勝達」と揮毫されました。

▲喫茶店で休憩される文先生ご夫妻