https://www.kogensha.jp/

日本を愛した文先生の足跡(5)
五日市

(光言社『グラフ新天地』386号[2000年9月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
 

 8月24日に迎える文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

先頭に立って登山される文先生の足跡をたどって

 196771日、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は「原理大修練会(61730日)」を終えた修練生を伴って、東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市五日市)へ行かれました。

 午前7時半、総勢約150人は2台の大型バスで出発。2時間ほどで、城山という小さな山のふもとに着きました。

 文先生は先頭に立って一気に登られます。続くメンバーは、狭い山道を踏みしめ、急な岩道に足場を求めながら、まさに文先生の歩まれた道を、文先生の足跡の上を、こうして実体的に歩いているんだという感激に浸りました。

 頂上では全員が文先生を半円形に囲んで座り、声を張り上げて歌を歌いました。

▲城山の頂上でみ言を語られる文鮮明先生

 下山すると、秋川(多摩川の支流)の川原に降り、遅くなった昼食を食べました。それは近くの菅沼志づさん宅で作られた150人分のカレーライスでした。

 数日前、菅沼さんの家には文先生ご一行5人が行かれるかもしれないという連絡が、教会から入っていました。

 ところが実際は5人ではなく150人を迎えることになったのです。費用は教会と菅沼さんとで負担することになりました。しかしその直後、菅沼さんは教会に電話をかけ、経費はすべて自分が引き受けると伝えたのです。

「最高の言葉をあげるよ」

 菅沼さんは150人分のカレーライスやスイカなどを準備するために奔走し、手元に残ったお金は1500円でした。

 この日、孝進(ヒョウヂン)様(当時4歳)が遊んで服を汚され、着替えが必要になったとき、菅沼さんは子供服を買いに行く婦人にその1500円を渡しました。汚れた服と同じ物をちょうど1500円で買うことができたといいます。

▲秋川の川原で水遊びをされる文孝進様(当時4歳)

 文先生は菅沼さんに「最高の言葉をあげるよ」と言われ、「精誠」と「忠孝之源 誠心誠意」という言葉を色紙に書いてくださいました。

▲文先生が書いてくださった色紙

▲「精誠」「忠孝之源 誠心誠意」と文先生が色紙に書かれたときに使われた硯(すずり)と筆(菅沼志づさん所蔵)

 川原ではカレーライスを食べながらスイカ割りが行われ、その後、東京地区対その他の地区という組み合わせで騎馬戦も行われました。

(参考/『成約週報』第5号『ファミリー』19998月号)

▲騎馬戦が行われた秋川の川原
昔、キリスト教の宣教師が洗礼を行ったことにちなんで「耶蘇淵(やそぶち)」と呼ばれている