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心情開拓
心霊を育てる生活原則(10)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

1 牧会

▲李耀翰先生

人間に悩む

 世の中に、自分の生活条件で悩む人間は多いけれど、人間に悩む人は少ないのです。家庭のために泣く人、民族のために泣く人、人のために苦労したという人、それは顔を見れば分かりますが、そういう人間のために悩む人にはなかなか会えないのです。だからそういう人に会ったなら、その人は何にも替えられない、重要な、必要な人間になるのです。そういう立場にある教会長は、自分が責任をもって付き合う人のために、涙を流すのでなければ、その地域に対して祈る資格がないのです。情的に見れば、自分の目の前に現れた人と情的に結ばずして、その地方のために祈ることなどできないというのです。

 私たちは、具体的に、今付き合っている人のために心配し、知っている人に情を注いであげなくてはならないのです。知らない人に情をどうしてかけられますか、できはしないのです。相対基準がないのに、自分の情が動くわけがないのです。

 伝道に行くとか、付き合っている人の家で自分が何か指摘できる部分を発見したなら、その面を祈ってあげるのです。言いたいことがあれば、まず、口で言わないで、情的に先に話すのです。結局、なるべく口で言わないのです。

 献身している人は、だれのために献身しているのでしょうか。炊事場にいる人は、御飯を炊く時、この御飯はだれが食べるんだと、その人のために祈りながら御飯を作らなくてはいけないのです。御飯を作りながら、民族のためとか、天のためとかそういう漠然とした祈りよりも、「この御飯をだれが食べるのだ」と、2人なら2人、4人なら4人のその人のために情を注いであげれば、御飯を食べる時、とてもうれしいのです。情を込めて願ったあとに会うのと、そうでなく会った時とは、全然違うのです。

 教会長であれば、20人、30人の時は一番いいのです。その時には、その兄弟がどういう立場で教会に通っているという内容を知っているから、それを一々神様に報告しながら、その人のために、その家庭のために、あるいはその人の親戚のために情を注いであげるのです。そうしたら、その人も、なぜだか分からずに教会に行きたくてたまらなくなってしまうのです。そこでその人が教会に行ってみると、自分も知らずに、自分のために祈ってくれた人に、自分のことを全部話したくなるのです。そうした時に、その人を供え物として、その地域のために祈るのです。

 例えば、私が福岡へ行って、中村さんという人に一番最初に会ったとします。そして、その中村さんのために祈り、その事情のために涙を流したとしたなら、その人がその地の一番の供え物です。天から見ると、その地の全部の人のために祈ったという条件が立つのです。そういうふうに基準を立てて祈るのです。何もなく、「私はこの地に伝道に来ました。どうかこの地の人を何とかしてください」と言わなくても、神は、「してください」と言われなくても、やりたいのです。だから、だれだれのその事情を自分の情と結んで、具体的にその報告を神にするのです。

 教会長たちは、兄弟たちが来て心の秘密を何か言ったなら、それを聞いて、まず祈るのです。その場所で、その人と一緒に。とてもいいのです。その時を、失ってはいけないのです。その人が教会長に、自分の心の内容を全部話したあとは、とても軽く、気分が良くなるのです。教会長は、それを聞いてから、すぐ天に報告するのです。するとその本人に力を与えてくださるとか、再度決心させてくださるのです。そういうふうに、天が直接その人に干渉するのです。

一人が神を栄えさせる

 私たち一人一人は、本当に天から見た時には、相当の希望をもたれます。神は一人と思わずに、全人類と思っておられるし、日本全部と思っておられるから、私たちがそういう立場で天に忠誠を尽くしていけばいいのですが、そういうふうにならないから、神と会えないのです。

 30億人類の苦しみとか、その事情を、神はどのように意識されるのでしょうか。地上では人間の数で見るけれども、天から見れば、堕落したアダムの家庭、アダム・エバとの二人しか地上にいないと見るのです。男と女の二つの枝が、こんなに繁殖したのであって、たくさんの人間とは思わない。一つの主流が、堕落性を根本として流れているから、だれと会っても、アダムとエバと同じように感じるのです。だから、その中で特別にこの事情を知り、歴史的あるいは摂理的な内容をもって涙して祈る人は、全世界を代表しているから、神はその人に対する時に、今までの悲しみ全部を忘れるように喜んでいるのです。一人が神を栄えさせるのです。

 だから地方へ行った時には、全霊界のその地方の先祖たちと、その地方に生きて地上にいる人の総代理者と思って摂理しているから、その位置を私たちは忘れてはいけないのですが、それがうまくいかないのです。天から見る位置を、地上の人が分かっていないのです。

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 次回は、「自分の悩み/神の直接干渉」をお届けします。


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