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日本を愛した文先生の足跡(2)
高知

(光言社『グラフ新天地』383号[2000年6月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
 

 8月24日に迎える文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。

 19677月、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が初めて高知に来られることになりました。

 高知教会においては、お迎えするための具体的な準備が進められました。
 大藤(おおとう/旧姓津野)弘子さんは当時を振り返って話します。
 「みんなで手分けして教会の掃除をしました。私はおふろの担当でした。『メシヤという方に対してどれくらい丁寧に洗ったらいいのだろう。とにかく全部ピカピカに新品のように』と思って、一生懸命にタイルを磨きました」

 710日、ついに文先生が乗られた飛行機が高知空港に姿を現しました。

▲高知空港に着かれた文先生。上から2人目(1967年7月10日)

 文先生は教会に着くと1階の礼拝堂に集まった教会員にみ言を語られ、翌11日には「本郷之都地上天國」と揮毫されました。

▲板書しながらみ言を語られる文先生(1967710日)

▲文先生が高知のために書かれた揮毫

 また高知城内でひととき、バナナやスイカを食べながら、文先生と楽しい交流の場を持つこともできました。
 ベートーベンの「喜びの歌」、「禁じられた遊び」のギター演奏、その他、琴、フルートなどそれぞれに練習した成果を披露しました。

▲文先生を囲んで楽しいひとときを過ごす(1967711日、高知城内)

 なごやかな雰囲気の中で、時は過ぎていきます。

 ところがそこに一人の浮浪者のような人が来て、果物をじっと見るのです。そこにいたメンバーは「早くどこかに行ってくれないか」と思っていました。その人はしばらくすると、去っていきました。すると文先生が「果物を上げてきなさい」と言われたのです。

 文先生は語られました。
 「人間が一生を…短い眼目でもって見ると…不公平のように思うんだけど、2000年とか何千年単位としてこの一つの周期を見てみると、宇宙は絶対公平というんですね。だから一度栄えた国は必ず滅びる。…滅びないための方法としては、どうしたらよいのか。…栄えたすべての財物を、その谷の下の方に下ろしておけというんですね。そうすればまた上がる。…だから高くなればなるほど、下の方に心をつめて、そこに忠誠を尽くせというんです」
(『日本統一運動史』より)

▲教会の2階で食事される文先生(19677月)