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心情開拓
心霊を育てる生活原則(6)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

1 牧会

▲李耀翰先生

 「勘」は知よりも先にあるのです。善悪を分別するのです。理知的に分からないから、自分たちが感じながら失敗してしまい、あとでだれでも告白するのが、「どうもおかしかった、そうじゃないかと思ったのだが失敗しちゃった」という言葉です。失敗したあとの告白を聞いてみると、「全然知らなかった」と言う人はいないのです。「予感した」と言うのです。「何か不思議だった」と。

 1945815日、私は愛知県豊橋市で、ある会社の社長さんたちと一緒に「降伏」の日を迎えたのですが、その日の幹部の人たちがどう言うかというと、「これはもう、新聞は全部うそだと思った」、「いつもいつも新聞にはB-29が何十機、何百機が落ちたと出たけれども、全部うそだと思った。それはもう簡単に分かった」と言うのです。田中さんという事務員がいたのですが、その人も「戦争は終わったと分かっていた」と言うのです。結局、勘でみな分かっているのです。

 今の時代もそうです。今の時代、キリスト教の牧師たちはみな分かっているのです。これではいけないと、こういう聖書の解釈の仕方ではいけないと。これでは霊的な糧にならない、こういう説教では、もう若い人たちをリードすることができないと、みな牧師たちが自分で、その勘から告白するのです。分かっているのです。この時期を分かっているのです。

感じても行動しない

 なぜかというと、天から地上の人に、いつも秘密に摂理するのではないからです。絶対に神様は、秘密に摂理をするのではないのです。人間を愛するから、三年前、七年前に、全人類にもはや秘密を教えているのです。しかし、人間たちが頑固なのです。悲観的な考え方で、感ずるけれども、実際には動かないから、結局、悩みの中に渦を巻いていくのです。

 聖書の解釈でも、これではいけないと分かりながらも、これを捨てて何か新しいものを探そうという革命的な行動をしないから、結局、霊的にとても苦しんでいるのです。勘は神の立場を知っているのです。

 メシヤがユダヤ人の中にいて、人々はその人をメシヤだとは知らなくても、勘では知っているのです。どこまで? 最後まで知っているのです。エデンの園、愛の世界をみな知っているのです。具体的に暮らしたことはないけれども、情的には、接触しているのです。だから何か、心が慌てるのです。肉体は心に遅れているし、勘はその本然の世界に行っているしで、とても慌てるのです。信仰者は慌てるのです。信仰者でなくても、青年たちが今、慌てて、慌てて、疲れて、疲れて、もうでたらめになっています。

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 次回は、「信仰的『勘』/主管性転倒(1)」をお届けします。


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