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映画で学ぶ統一原理 21

(この記事は、『世界家庭』2020年6月号に掲載されたものです)

ナビゲーター:渡邊一喜

『桐島、部活やめるってよ』
2012年。103分。

スクールカーストのトップにいたキャプテンが退部
個人的終末における新しい価値観との遭遇を描く

前編 第3章 終末論

 キリスト教の文化的背景が強いハリウッド映画には、「終末」を扱うものが多い。『アルマゲドン』、『インディペンデンス・デイ』、『2012』など枚挙にいとまがない。それらが描く終末は、キリスト教的終末観に立脚した「世界の終わり」、「時代の終焉」である。

 しかし、日本人には、このような終末観は文化的に距離がある。私たちにとっては、同じ終末でも「個的実存(個人)における終末」に、よりなじみがあるだろう。統一原理の語る終末観は、私たちの「個的実存」に迫ってくるのだ。

 今回はそんな終末を考えるために、吉田大八監督、神木隆之介、東出昌大主演の『桐島、部活やめるってよ』を紹介したい。

 男子バレー部のキャプテンだった桐島が突然退部した。スクールカースト(主に中学・高校のクラス内で発生する序列のこと)のトップにいた桐島の退部は、周囲の生徒たちに少なからぬ動揺を引き起こす。
 桐島の親友、宏樹(東出昌大)は、それに最も衝撃を受けた一人であった。直接問いただそうにも、その後、桐島は何日も学校に姿を見せない。順風満帆であったはずの学校生活を放棄するような桐島に納得できない宏樹だったが、次第に自分自身の生き方にも疑問を抱き始める。

 しかし、そんな空気と全く関係のない生徒もいる。映画部の前田(神木隆之介)がその一人だ。彼は、スクールカーストでは最底辺に位置する、いわゆるオタク。新しく脚本を書き上げたゾンビ映画の撮影に熱中している。
 桐島の不在に右往左往する宏樹たちと、自身の情熱にしか関心を向けられない前田。この出会いと衝突が、私たちに生きる理由を考えさせる。

 登場人物が大きな失敗をし、それを悔い改め、立ち直り、成長するということを伝えてくれる物語とは違う。実は世界がすでに別のものに変わってしまっていたことに気づかせるこのような作品は、非常に終末論的である。

 宏樹にとって桐島の離脱は、彼の人生においての終末を知らせるサインであった。そして前田との出会いは、終末における新しい価値との出合いにもなりえた。しかしそれは容易ではない。『原理講論』が語るとおりである(173ページ)。

 終末論は結論として、新しい時代の摂理をいかに悟り、自らの選択でいかについていくことができるかを説いている(174175ページ)。終末に処す我々の立場を寓話的に理解する意味で、ぜひ見ていただきたい作品である。

(『世界家庭』2020年6月号より)

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