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心情開拓
心霊を育てる生活原則(2)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

1 牧会

▲李耀翰先生

信仰生活とは

 「原理」の生活化ということについて話してみようと思います。

 「原理」で学んだように、蕩減(とうげん)の道を歩きながら蕩減条件を立てるのが私たちの生活です。

 蕩減条件を立てながら、今までの歴史とか、自分自身の問題を解決しつつこの時間を受け持つのか、それとも、蕩減できずにもっと条件を立てなければならなくなるのか、そういう闘いの位置にいるのが私たちの立場です。

 勝つか負けるかは、条件によって決まります。サタンと神との中間にある私たちは、「原理」を応用することによってサタンから逃れるか、あるいはそうできずに捕まるかという立場にあるのです。

 信仰する私たちにおいては、神とサタンと一緒に暮らす立場にあって、サタンとの関係を除きながら、神との関係を結んでいく、これが地上の生活だといって間違いありません。

神の立場につながる

 堕落した人間に対して神は、アダムの家庭ではアベルの立場を直接摂理してくださり、モーセの時には十戒を下さり、あるいはメシヤを遣わされ、それぞれの時代に、神からの立場をつくってくださいました。この立場は、人間が探したのではなく、皆がこの立場につながって救われるように、神のほうからつくって、摂理してきたのです。

 そして、この神の立場は、単に精神的なものではなく、いつも実体的なものです。

 例えば、律法、預言者の時代には、預言者、あるいはイエス様という実体です。皆さんも、この「原理」を信じる伝道者を通して、統一教会に入る動機を得たはずです。神はそういう実体的な立場を与えたのです。

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 次回は、「だれが堕落性を洗ってくれるのか/見物人になるな」をお届けします。


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