真の父母様の歩まれた道 6
真のお父様の家系②
潤國おじいさん

 『ムーンワールド』で連載してきました人気コーナー、真の父母様の歩まれた道「汗と涙の歴史」をBlessed Lifeでも配信!
 親しみのあるイラストと、小学生でも理解しやすく、分かりやすい文章で紹介します!

 真のお父様のおじいさん(祖父)の名前は、文致國です。

 致國おじいさんは、学校にも、書堂(漢文などを教えた塾)にも通いませんでしたが、誰かが『三国志』を朗読すれば、それを一度、聞いただけで、朗読した最初のページから最後のページまで覚えてしまい、そのまま繰り返して話すことができました。

 真のお父様の家は、国道沿いにあったうえに、おなかのすいた人々を常に食事でもてなしていたので、多いときには客間に30人くらいの人が集いました。真のお父様のお母さんは生涯、不平一つ言うことなく、しゅうとである致國おじいさんに仕え続け、いつもお客さんの食事を準備するために汗を流していました。

 三人兄弟の長男だった致國おじいさんの、いちばん下の弟の名前は文潤國です。潤國おじいさん(大叔父)は牧師で、三・一独立運動(1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動)の平安北道(真のお父様の家があった地域)の総責任者でした。平安北道定州郡にあった五山学校の生徒や職員、自分が牧師をしている教会の信徒、地域の住民たちを率いて、韓国の独立のために万歳運動を繰り広げた愛国者でした。

 潤國おじいさんは、独立運動のために親族の財産を全て売り尽くしてしまい、一瞬にして真のお父様の家は破産してしまいました。そのため、その後に、親族が皆、苦労をしました。潤國おじいさんは、自分を犠牲にし、信徒を犠牲にし、一族を犠牲にして、国のために一生、家に戻ることなく過ごしたのです。そのため、いつ、どこで亡くなったのか、誰も知りませんでした。

 しかし、潤國おじいさんは死後、真のお父様のいとこの文龍基長老の夢に現れて、自分がどこでどのようにして死んだかを説明し、お墓の住所まで教えてくれたのです。夢で教えられたその住所(江原道旌善郡)を、文龍基長老が訪ねていってみると、谷間に確かに潤國おじいさんのお墓がありました。

 真のお父様は、「(潤國おじいさんは)多くの試練の中でも国を愛し、監獄に行っても、どこに行っても、国を愛する一念で、国の基盤をつくるために(人々を)教育してきた」と語っておられます。

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 次回は、「真のお父様の家系③」をお届けします。