日本人のこころ 43
東京都―曽野綾子『誰のために愛するか』

(APTF『真の家庭』264号[202010月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

中高年は社会奉仕を
 夫の三浦朱門(作家、元文化庁長官)を見送り、89歳になってますます執筆力旺盛な曽野綾子氏は、1歳年下の石原慎太郎氏との対談『死という最後の未来』(幻冬舎)で、カトリック信徒らしい死生観を語っています。

 石原氏が「去りがたいですよ。この世を」「(死ぬのは)つまらん。つまらんです」と言うのに対して、曽野氏は「死ぬのも自然なことですけれどね」と動じないのは、「どこかで、あらゆることはなるようにしかならないと思っているんです。神様とか、何か偉大なものが采配しているというのか、死をも含めた秩序ね」と応じています。死後の世界、来世があるかどうか論争する人もいますが、人知を超えた死は神仏の領域ですから、最後は信念の問題になるのです。

 法華経を拠り所とする石原氏は、よくわからないと言いながら、「息を引きとったら、一瞬で魂もなくなると思う」と言い、曽野氏は「不滅かなと思っています」。曽野氏の言う、「死によって霊魂がパタリと働きをやめてしまうことはない」というのは、むしろ自然な感覚です。

 霊魂は妄想と言いながら、石原氏はヨットなどの体験から自然との一体感に喜びを重ねてきて、70歳で脳梗塞になった体をスポーツや独自の健康法で鍛えています。スポーツが嫌いという曽野氏は、日頃の家事と家庭菜園で十分だと応じ、種が芽生え、野菜に育つ仕組みに感動すると応じます。石原氏は政治に、曽野氏は慈善活動に積極的に取り組んできました。つまり、自然も含む事物との一体化で人生を歩み、内外両面の活動が両氏の人生と思索を豊かにしているのです。

 教育臨調などの議論で、かつて曽野氏は、子供の頃から「死」について学ぶ必要があると提言していました。それは父との不仲から、母が10歳の曽野氏を道連れに死のうとしたことに大きな原因があります。その後、ミッションスクールで信仰のドグマ(教義)を生きる人たちに接し、変わります。英国王族で最高の教育を受けながら、淡々とトイレ掃除をしているシスターの生き方に接し、生かされていることを神に感謝し、義務を誠実にこなすことが信条となったのです。

 加齢とともに外見が衰えるなか、その人を輝かせるのは「徳」だけだから、「中年からは社会奉仕をすべき」と曽野氏が言うのには同感です。周りを見渡すと、自分を必要とする人、事象は意外と多いのです。魂を満たす勉強をしながら、中高年が社会奉仕にいそしむようになれば、日本はもっと良くなるに違いありません。その意味で、福祉だけを強調する今の日本の高齢化対策には大きな欠陥があり、経済的にも破綻せざるを得ません。もっとも民主主義社会では、彼らにもっと働けとは言えないので、高齢者自らが意欲的に社会活動をするしかありません。

学び合える夫婦に
 私が曽野氏の講演を初めて聞いたのは学生時代の京都で、テーマは「事実と真実」。インドのホームレスが人から喜捨を受けるのは当然と誇らしげにしていることを紹介し、客観的な事実より、その人にとっての真実を見ないといけないという話でした。

 曽野氏が1970年に出した『誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚』(青春出版社)は200万部以上のベストセラーとなっていました。愛の定義を「その人のために死ねるか」としたことに共感したのを覚えています。人生最大の恐怖である死を乗り越えるところに、愛の意味があるのです。

▲曽野綾子・著『誰のために愛するか』(画像はワックから出版されている書籍)

 親子関係では単純ですが、他人同士の男女間の愛になると複雑になります。性愛的な感情は、そもそも長続きしないからで、それがきっかけで夫婦になっても、どう長続きさせるかが大きな課題になります。『遠来の客たち』が芥川賞候補となり23歳で文壇デビューした曽野氏は、22歳で文学の先輩である三浦と結婚しています。その理由は、この人から多くのことを学べると思ったからで、事実、そのようになりました。人生論や教育論にかかわる多くの著作は、三浦との家庭生活がもたらした実りです。

 「3年目の浮気」や「中年の危機」などと言われる夫婦関係のほころびは、相手から学ぶことがなくなり、尊敬できなくなったことが大きな原因です。すると、夫婦として一緒に暮らす意味がなくなり、まして子供が独り立ちしていくと、そんな人と一緒に暮らすことが苦痛になります。曽野氏が言うように、肉体的なそれまでの経験や社会的地位が生かせない単純労働であっても、魂の修行だと思えば、心を込めて向き合うことができます。

 私は47歳の時に、独り暮らしをしていた母が病気で倒れたため、家族で実家に引っ越し、介護生活を始めました。同時に、父が残した田んぼの集団営農を地域の農家と始め、それが以後の暮らしの基本になりました。農作業の多くは単純作業で、ともすれば嫌になりがちです。ところが、二宮尊徳が「ひと鍬ひと鍬に祈りを込め」たように、修行と考えれば、苦痛でなくなります。同じような気持ちで自治会など地域活動に携わると、いかに自分が必要とされているかに気づきます。おかげで、結果的に中年夫婦の危機を乗り越えられたと、今では感謝しています。

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