日本人のこころ 110
坂村真民『念ずれば花ひらく』

(APTF『真の家庭』331号[2026年5月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

詩は生きるため、自分をつくるため
 愛媛県砥部町にある坂村真民記念館を1月12日に訪れました。代表作の「念ずれば花ひらく」など、心を打つ詩で多くの人たちに愛された真民さんは平成18年(2006)、老衰のため97歳で永眠しました。仏教伝道文化賞を受賞し「仏教詩人」と呼ばれましたが、神道やキリスト教にも深く傾倒していたので「宗教詩人」の方がふさわしいでしょう。

▲『随筆集 念ずれば花ひらく』(サンマーク出版/画像は詩集ではなく随筆集です)

 真民さんは5人兄弟の長男として明治42年、熊本県荒尾市に生まれました。本名は昂。8歳の時に父親が急逝して一家は没落。真民さんは母親を助け、家族を支えます。昭和6年に神宮皇学館(現皇學館大學)を卒業し、25歳で朝鮮の教職になりました。36歳で終戦を迎え、昭和21年に愛媛県の高校国語教師となり、65歳で退職すると、詩作に専念するようになります。

 真民さんが詩を書くのは、「生きるため、自分をつくるため」です。17歳で短歌を始め、やがて俳句から詩に進みます。
 「戦後、闇商売をやっている人たちに、私の詩を懐に入れていると力が出てくると言われた。短歌や俳句は分からないような人たちですが、詩なら一生懸命に読んでくれる。初めて読者というものを体験して、こういう世界があったなと思った。それから、底辺の人たちのために詩を作り始めたのです」

 21歳で愛媛県に移り住んだ真民さんは、鎌倉時代に松山の宝厳寺に生まれ、「踊念仏」の時宗を開いた一遍上人を生涯の師と仰ぐようになります。「日本の開教の祖師たちの中で、一番釈迦に近い生き方をしたのは、一遍その人ではなかろうかと思い、すべてを捨てて、大いなるものに己を託して祈り、いろいろな行を積むようになった」と語っています。

 真民さんが「祈りにおいては最高最大の人」と尊敬するのは「原始福音・キリストの幕屋」の手島郁郎師。同師は、「大いなるものが、その人を捉え導き始める経験、それが宗教だ」と説き、「念ずれば花ひらく」は、キリストの「信ずるごとくになる」と同じ意味だとして、真民さんの詩をよく紹介していました。

 昭和28年には「詩母さま」と仰ぐ杉村春苔尼に出会い、大回心します。以後、真民さんは、個人の救いよりも人類と地球全体の救いを念じるようになります。

 また、教育者で実践哲学者の森信三に出会い、「人生とは人と共に生きること」だと悟り、53歳で詩集『詩国』の発刊を始めました。「四国は詩国だ」と言い、編集から1200通の宛名書きまですべて自分でこなし、「行」のように取り組んだのです。

「念ずれば」は母との合作
 真民さんの詩は分かりやすく、「五つの男の子から九十のおばあさんまで便りをくれるのがうれしい」と語ります。

 「念ずれば花ひらく」は、母タネにささげた詩集『赤い種』に収められています。

 「念ずれば/花ひらく/苦しいとき、母がいつも口にしていた/このことばを/わたしもいつのころからか/となえるようになった/そうしてそのたび/わたしの花がふしぎと/ひとつひとつ/ひらいていった」

 この詩は母との合作だったと、真民さんは話しました。

 「宇和島にいた50近いころ突然、目が見えなくなりました。禅の修行で無理をしたからです。眼科の診察を待つ間、近くの神社で休んだ私は、親からもらった目を不養生で壊して申し訳ないと思っていました。36歳で未亡人になり、5人の子を女手一人で育て上げてくれた母の口癖が、『一生懸命に念じていたらいつかは花が開く』でした。母を思っていると、その言葉がひょいと浮かんできて、私の決定的な詩になった。親を思って生まれた詩です」

 72歳で亡くなった母タネについて、「母はわたしにとって永遠に咲き匂う一輪の花である。私は返しても返しきれない母の大恩を、いくらかでも返し軽くしようと、詩を書き続けているのである」と書いています。

 私が真民さんに会ったのは平成15年(2003)。94歳の真民さんは砥部町の自宅で、娘さんと一緒に寝たきりの妻を介護していました。驚いたのは、毎日早朝3時に起き、近くの重信川の土手に出て、大地に額をつけ地球への祈りをささげていたこと。そこから人々に生きる力と感動を与える詩が生まれていたのです。

 真民さんは、「21世紀は宇宙の時代になる。今、私は宇宙の力で生きていると思うからです。つまり、宇宙の不思議な力を身につけて、前向きに生きる。それが、私の目指す『断定の想念』です」と語ってくれました。

 庭で大好きな朴の木を見上げる真民さんに、「お元気ですね」と言うと、「元気という言葉が90になると別ですな。元気で生きているわけではなく、神様、仏様に助けられ、宇宙の無限な力に助けられて生きている。80代までは自分で生きていると思うかもしれませんが、90代になると考え方が変わりますね。自分本位に考えない。すべてが感謝になる。この世を去る時には、『ありがとう』と言って逝きたい」とつぶやきました。そんな真民さんの境地に近づきたいと思います。

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