https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4344

週刊ぶれら 57
無知は死の影

編集部

 今年(2026年)1月にNHK「ドラマ10」枠で放送された松山ケンイチ主演のドラマ『テミスの不確かな法廷』(原作、直島翔)を動画配信サービスで視聴しました。

 自身の発達障害(ASDADHD)を隠して働く裁判官が、独特のこだわりと実直さで、法廷に隠された事件の矛盾と「本当の真実」をあぶり出していくリーガル・ヒューマンドラマです。
 主人公を演じた松山ケンイチの演技が秀逸でした。

 ストーリーを簡単にご紹介しましょう。

 主人公の安堂清春(松山ケンイチ)は、発達障害の特性を周囲に隠しながら、前橋地方裁判所に赴任します。
 “普通を装おうとするものの、彼の強いこだわりや独特の言動は周囲を戸惑わせます。しかしその特性の故に、他の人が見落とすような「事件のわずかな矛盾」に気付き、自ら徹底的な調査(職権調査)を始めます。
 弁護士の小野崎(鳴海唯)らと共に数々の難事件の真相を解き明かしていく中、やがて安堂は、自身の父親や司法界そのものが過去に犯した「罪」と向き合うことになります。

 ドラマの中でたびたび繰り返される主人公・安藤清春の言葉が印象的でした。

 「分からないことを分からないと、分からないことは分からない。だから分からなくてはいけない」

 これは、安藤の裁判官としての信念でもありました。

 この言葉を聞いて、ソクラテスの「無知の知」を思い出しました。
 ソクラテスの時代、アテナイの智者たちは「自分は何でも知っている」と思い込んでいましたが、ソクラテスに対話(問答法)で詰められると、実は何も分かっていないことが露呈したというあの有名な話です。

 『原理講論』の総序には「無知」という言葉がたくさん出てきますが、印象的な一節(31ページ)があります。

 「堕落人間にとって、『知ること』は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである」

 さらにこう続きます。

 「無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない」

 そしてこの文脈から以下のような結論に至ります。

 「人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか」

 ドラマの中で繰り返される「分からないことを分からないと、分からないことは分からない」という言葉。ソクラテスの「無知の知」。

 「無知は死の影」だとすれば、家庭連合解散命令を巡る裁判もまた、ここから問い直さなければなりませんし、命令請求を行った政府、文部科学省こそが分からないことを分かっているかどうかを自問すべきでしょう。

 「無知は死の影」という言葉の持つ意味は、決して他人事(ひとごと)ではありません。
 筆者もまた、自らが無知であることの自覚を持つことから始めたいと思います。


 Blessed Life(ぶれら)編集部は、皆さまの情報ライフをもっと豊かにするために、これからも精進してまいります!

 読者の皆さまの「ぶれら、こんなふうに活用してるよ~」「ぶれらにこんな記事あったらいいな~」といった声、お待ちしております。

 ご感想やご意見・ご要望、お気軽にお寄せください!


お気に入り