2025.12.24 17:00

共産主義の新しいカタチ 91
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
20世紀最後の重要なマルクス解釈に
ルイ・アルチュセール(上)①
構造的マルクス主義の共産党員
ロラン・バルトに続き、「構造主義四天王」の一人とされるルイ・アルチュセール(1918〜90)を取り上げます。アルチュセールの思想を一言で表すと「構造主義的マルクス主義」とされます。

アルチュセールはそもそも、若い時分からマルクス主義に傾倒し、しかもフランス共産党の有力党員という「正統的なマルクス主義者」だったからです(しかし後に、「プロレタリア独裁の放棄」をめぐり党執行部と対立し離党します)。アルチュセールの翻訳・研究の日本での草分けとして知られる今村仁司(元東京経済大教授)は『アルチュセール全哲学』(講談社学術文庫)で、20世紀西欧のマルクス主義的潮流と、アルチュセール哲学の占める位置について論じています。
それを簡単に要約すると、20世紀のマルクス主義思想の潮流にはまず二つの重要な解釈があることだというのです。すなわち、第2インターナショナル(国際社会主義者組織)による主導で主流派だった「経済法則中心の客観主義」に対し、ロシア革命の刺激によってルカーチが『歴史と階級意識』を引っさげて「主体主義」を唱えたのがまず第一の解釈によって、「ユーロ・コミュニズム」が成立します。
その「主体性」の強調がサルトルの実存主義において「一つの頂点」に達したものの、やがて「革命主体」という理念が色褪せると、今度は主観主義と客観主義の両者を批判し、「新しいマルクス主義」像を追究しようとした第2の解釈こそが、アルチュセールの思想というのです。
その概略を述べるなら以下のようになります。
「20世紀における重要なマルクス解釈は、ルカーチに始まり、アルチュセールに終わったと言えよう。しかしアルチュセールの歴史的意義は、ルカーチからサルトルに至る主体的マルクス主義が客体主義や経済主義へのアンチテーゼでしかなかったのに対し、主体主義と客体主義がともに近代の哲学的イデオロギーであることを指摘しつつ、マルクスの哲学と科学が、近代哲学の土俵を投げ捨てて、新しい問いの構造に基礎をおく画期的な思考の軌道を設定したと言い切ったところにある」
さらにそこで、アルチュセール哲学の位置について今村はこう述べます。
「マルクス主義の歴史は、アルチュセールの仕事と共に、振り出しに戻ることになった。その意味は、マルクスをマルクス主義の占有物から解放して、マルクスの仕事を、西欧形而上学の歴史の流れの中に位置づけ、それとの対決の観点から、新しく見直すことができるような枠組みを作ったことにある。ハイデガーがニーチェを西欧形而上学の流れの中に位置づけて読み直す作業をしたのと類似した仕事を、アルチュセールはマルクスの仕事について実行したのである。アルチュセールのおかげで、マルクスは哲学史上の決定的人物になった。……彼の仕事を媒介にして、ありうべき多くの解釈の可能性が我々に開かれることになった」。(『アルチュセール全哲学』)
新しいマルクス主義の可能性を模索
つまりこれは何を意味するのでしょうか。もう少し整理してみれば、「構造主義の父」と呼ばれるレヴィ=ストロースは、サルトルらの標榜する「実存主義的マルクス主義」への強烈なアンチテーゼ(否)として、構造人類学を引っさげてアカデミズムに登場しました。そこで「マルクスは旧(ふる)い」というイメージが広がる中で、サルトルはレヴィ=ストロースを「ブルジョアの走狗」呼ばわりし、論争を挑みました。
そこで、サルトルやレヴィ=ストロースの「次の世代」であるアルチュセールが、いわば「マルクス主義の復権」を企てた、と見てよいでしょう。ベトナム戦争さなかの米国の大学のキャンパスで「アイドル」となっていたのが、「3M」と呼ばれたマルクス・毛沢東・マルクーゼらの思想であり(ブキャナン『滅びゆく西洋病むアメリカ』、ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』)、その意味でアルチュセール思想が1960年代に登場したことは、実存主義ではないマルクス主義の可能性という需要に適ったものだったといえるかもしれません。
★「思想新聞」2025年11月1日号より★
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