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「平和の母」が流した七つの涙 4

浅川 勇男

 「平和の母」シリーズは、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』(光言社・刊)に学ぶシリーズです。
 第3弾は「『平和の母』が流した七つの涙」をお届けします。

【第四の涙】祖国に流した涙

 誰もが自分が生まれた故郷を慕っています。山や川、春夏秋冬を彩る花や木々の色鮮やかさ…。
 韓鶴子夫人の故郷は、朝鮮半島北部の安州です。

 「私の故郷、平安南道安州(ピョンアンナムドアンヂュ)の美しい風景や、自然が奏でる音色は、七十年以上経(た)っても、私の心の中にそのまま残っています。必ずまた訪ねたい、慕わしい故郷です。私がいつかは帰るべき、本郷の地です」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』46ページ)

 韓鶴子夫人が誕生した時、朝鮮半島は日本の統治下にありました。
 1945815日、朝鮮半島は解放されますが、北には共産主義国家の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、南には自由主義国家である大韓民国(韓国)が建国され、北と南に分断されてしまいます。

 熱心なキリスト教信者だった韓鶴子夫人の祖母と母は、弾圧を受けて一時牢獄に入れられますが、解放されて南に向かいます。幾多の困難がありましたが、奇跡的な神様の守護によって脱出できました。

▲幼少期の韓鶴子夫人

 1950625日、軍備を整えた北朝鮮軍は一挙に38度線を越えて南に侵攻します。大混乱の中、九死に一生を得て、家族は命を守られました。
 この時、韓鶴子夫人は数えで8歳。戦時下の悲惨な光景を目撃したのです。

 「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、悲惨な避難民の生活を経験しました。純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、親を失った子供たちが泣き叫びながら街頭をさまよっていました。私は数えで八歳にして、戦争は地上から永遠に消え去らなければならないという思いを強く持ちました」(同85ページ)

 韓鶴子夫人にとって、世界平和と祖国統一は単なるスローガンではありません。
 幼い頃に目にした悲惨な光景が揺るぎない決意と信念を醸成しているのです。

 故郷は北朝鮮共産国家の支配下にあり、祖国は分断国家となっています。東西ドイツが統一されて自由主義国家になった今でも、分断されています。

 朝鮮半島は、世界平和のための重要な役割を持っています。東洋と西洋の文明が出合い、大陸文明と海洋文明が出合う場所です。これまで栄えてきた大西洋文明が過ぎて、新しく環太平洋文明が開き、その中心はアジアであり、朝鮮半島なのです。

 各国の利害関係が衝突する朝鮮半島が、世界平和の重大な役割を担わなければならない時が来ています。

 韓鶴子夫人の祖国朝鮮半島は、国を奪われ、分断された悲しみの中にありますが、祖国に流す涙は、統一のための悲願だけではなく、世界平和のためでもあるのです。

 「文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁と私は、神様の祖国光復のために一片丹心の生涯を生きてきました。決して振り返ることなく、ひたすら前だけを見つめて歩んできたのです」(同402ページ)



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