(『祝福家庭』74号)
【第2祝福】「家庭完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2祝福】
「幸せな家庭」に関するみ言(2)

 家庭という言葉を見ると、「家の庭」と書きます。庭には色とりどりの美しい花が咲くのと同じように、家庭にも兄弟がいて、父母がいます。家庭は、お互いが喜び、楽しみ、歌い、踊れる所にならなければなりません。そこでお互いにけんかをすれば、その庭は荒れ地になります。
 植物は、良い音楽を聞けばよく育ちますが、そうでない場合はよく育ちません。家庭も同じです。愛が宿っているメロディーを聞いて育てば、素晴らしく生きることができます。その素晴らしく生きることができる、その何かをもった心が愛なのです。
(天一国経典『天聖経』第5篇・第1章・第1節・1)


 家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通して喜びを感じ、また子女を通して喜びを感じることができなければなりません。そうして、その喜びをほかの人々に誇ることができなければなりません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭がない神様は喜ぶことができません。結局、家庭がなければならないというのです。
(同 第5篇・第1章・第4節・1)


 人間が、見えない神様の代わりに創造の喜びを感じる所が家庭です。世界を見れば、子女のような人々がいて、自分のような人々がいて、父や母のような人々がいて、そして祖父母のような人々がいます。彼らを測ることのできる物差しがあると考えてみてください。子女の物差し、夫婦の物差し、父母の物差し、そして祖父母の物差しがあるとすれば、その一つの母体が家庭です。
 これを拡張すれば世界になります。そのように、自分の家庭の代わりにこれを主体とみなし、この世界を相対のようにして、プラスとマイナスのようにして回るのです。そのように回りながら暮らした人々が入る所が天国です。この世の中は、天国に入れるようにする訓練場なのです。
(同 第5篇・第1章・第4節・24)