(『祝福家庭』68号)
【第3祝福】「主管性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「自由と責任」に関するみ言(3)

 真の自由に対して論議してみれば、原則を離れた自由は真の自由ではなく、責任を逃れた自由は真の自由ではなく、実績を残さない自由は、真の自由ではありません。ですから、どのような自由行動であれ、原則を離れてはならず、責任をもたなければならず、その行動の実績がなければなりません。それでも、このような条件を具備できない立場で自由にしようとすれば、自然に天倫とは遠い距離に置かれるようになることを、皆さんは認識しなければなりません。
(『文鮮明先生御言選集』第4巻318〜319頁、1958・10・12)


 彼らに最後に残るものとは何でしょうか。孤独が残るのです。それで、この孤独が極致に達する境地に入っていくようになるときには、あなたも信じられず、私も信じられない、不信の自らになるのです。そして、孤独と不信の自らになるとき、宇宙的な恐怖が支配するのであり、結局は自滅を招いてしまいます。今日の歴史は、このような趨勢(すうせい)で動いているのです。
 ですから、私たちが自由を叫ぼうとすれば、過去に叫んでいた自由や、今日叫んでいる無責任な自由ではない、神様の愛の理念が同伴した真の自由を叫ばなければならず、理念的であると同時に、心情に通じ得る自由を叫ばなければなりません。
(『同』第4巻319〜320頁、1958・10・12)