『平和の母』に見る10大奇跡 2
第2奇跡~北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避

浅川 勇男

 「平和の母」シリーズ第1弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』に見る10大奇跡」をお届けします。

 サタンは、6歳まで神の独り娘(韓鶴子総裁)を殺害できませんでしたが、北朝鮮に拘束さえしていれば、いつでも殺害蹂躙(じゅうりん)することができました。

 この期間は、独り娘の命を巡る神とサタンの壮絶で激しい戦いの分水嶺であり、一瞬一瞬が生死の岐路を分かつ奇跡の連続でした。

 祖母(趙元模)は南に行くことを決断します。祖母の息子(韓鶴子総裁にとっては叔父)が南の軍隊にいたからです。

 「天は叔父に対する祖母の切実な思いを通して、私たちが出発できるように役事(やくじ)されたのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』77ページ)

 祖母、母(洪順愛)、娘の三人は、200キロメートルを超える道のりを、千辛万苦して38度線にたどり着きます。しかし、北朝鮮軍に拘束されました。

 万事休す。サタンにとって、最後の北朝鮮内での拘束のチャンスです。救われる可能性は皆無。しかし奇跡が起こりました。

 寒さと空腹で苦しむ歩哨に、6歳の女の子が食物を分け与えたのです。生死を分かつ死線の中で、怨讐への愛が道を開きました。

 「故郷に帰れと言って、人民軍が私たち三人を解放してくれました」(同78ページ)

 38度線を超えましたが、新たなる死の危険が迫っていました。もしそこで、北朝鮮の歌を歌ったら、瞬時に南の軍隊に銃撃されていたでしょう。しかしこの時、「南の歌」を歌ったのです。

 「もし、私が歌を歌っていなければ、北の人民軍と誤解され、その場で銃弾を浴びて命を落としていたでしょう」(同79ページ)

 その後、ソウルで奇跡的に叔父と出会えました。

 1950625日、サタンは独り娘を殺害するために一挙に南に進攻しました。またもや、危険にさらされたのです。

▲爆破された漢江大橋

 住居から避難しますが、そのまま漢江大橋を渡っていたら、命を失っていたでしょう。
 その時です。

 「私はふと何かを感じるものがあり、祖母の服の裾を引っ張りました。祖母が足を止めたのを見て、母がいぶかしげに尋ねました」(同82ページ)

 祖母は来た道を振り返り、息子(叔父)が「来るかもしれない」と言い、戻ることにしたのです。

 叔父は家に迎えにきました。軍隊の通行証をもっていたので、早く橋を渡れたのです。その直後、橋は爆破されました。

 「わずか数メートルの差で、生と死が分かたれた瞬間でした」(同84ページ)

 サタンは、独り娘の命をわずかの差で逸したのです。祖母のひらめきが奇跡的に道を開いたのです。

 「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、悲惨な避難民の生活を経験しました。純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、親を失った子供たちが泣き叫びながら街頭をさまよっていました。私は数えで八歳にして、戦争は地上から永遠に消えさらなければならないという思いを強く持ちました」(同85ページ)

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