12月13日に、久保木修己・初代会長の聖和25周年を迎えました。
 そこで今回、久保木会長の生涯と功績をご紹介いたします。

 久保木修己(くぼき・おさみ/1931~1998)会長は、世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合/以下、統一教会)の初代会長です。

 1964年から27年間にわたり、教会の発展と日本の救いのために献身的に歩みました。

 また世界日報社会長、国際ハイウェイ建設を推進する会会長、国際文化財団理事長、日韓トンネル研究会顧問を歴任。1996年には世界平和連合会長に就任し、生涯を世界平和にささげました。

 真の父母様より「母奉士(モボンサ:母の国に侍る勇士)」の称号を贈られています。

直前に役目から外され命拾い
 「久保木は残れ!」。そう言われたのは突然だった。

 中学1年生の時に第二次世界大戦中の学徒動員で徴用され、北京の秘密兵器工場で働いていた。
 完成した兵器を中ソ国境に運ぶ際、運搬隊の責任者として13歳になったばかりの久保木少年が十数人を従えて貨車に乗り込むことに。

 その役目から外されたのは、緊張しながら出発を待っている時だった。

 理由は分からない。意気消沈しながら出発する貨車を見送った。

 その翌朝、兵器を積んだ貨車は爆破され、運搬のために乗っていた十数人全員が爆死。

 久保木少年は、直前に役目から外されたことによって命拾いをしたのである。


祖国日本への帰国
 日本への帰路は荒れに荒れた。
 ようやく日本に着くかと思われた時、久保木少年が乗った船を台風が襲ったのだ。

 この船はあと一時間で沈むというアナウンスが流れ、船内は騒然となった。日本にはすでに船が沈んだという電報が送られていた。

 しかし奇跡が起こり台風はやんだ。
 そのあと急いで船を修理し、何とか山口県の港にたどり着くことができた。

 こうして久保木少年は、13歳の時に祖国日本へと帰ってきたのである。


立正佼成会時代
 高校3年生の夏、ある家の門番の仕事を言い付けられた。

 「尊いかたの家だ」とだけ聞き緊張して立っていたが、車が通るたびに砂ぼこりで家が汚れる。その都度バケツで水をかけ、門や庭をきれいにした。

 そんな久保木少年の姿をじっと見つめる人がいた。立正佼成会で「生き仏」といわれた長沼妙佼先生である。

 長沼妙佼先生といえば、幹部でさえ畏れ多くて会うことができないほど。
 それにもかかわらず、その心掛けに感心した先生から昼食をごちそうされお小遣いまでもらった久保木少年は、その日のうちに立正佼成会中で大評判となった。


統一教会との出会い
 統一教会の聖日礼拝に初めて参加したのは久保木氏が30歳の時。先に導かれた友人に熱心に勧められたのだ。

 くたびれたあばら屋の2階、六畳一間に5、6人が座っているそこが教会だと聞いて驚いた。

 しかし、まるで数万人に向かうように語る説教者の姿に圧倒され、引き込まれていった。
 やがて「いつかはこの青年たちのところに来なければならない」という思いが心を占めていった。

▲大山にて(前列左から三人目が久保木会長)

極寒の山で神と出会う
 生きた神に出会うため、1月半ばの極寒の山(神奈川県の大山)へ断食祈祷に行った。
 真剣に祈るも何もない日が続いたが、諦めなかった。

 断食5日目。極寒の中にもかかわらず、全身汗だくになって絶叫するように祈っていた時、突然不思議な体験をした。

 何か強い力が引っ張ろうとする。
 「こっちへ来い、こっちへ来い」と、それは心の奥底から聞こえるようでもあり、宇宙の果てから響き渡るようでもある声だった。
 その声に誘われ頂上へ登り、夜まで必死に祈り続けた。

 しかし何事もなく、山を下りようかと思いはじめたその瞬間、目の前の空が急に赤く焼けただれたかと思うと、それはやがて紅蓮(ぐれん)の色に変わり、ぐるぐる輪を描いて迫ってきた。

 恐怖のあまり叫び声を上げようとするが、どうしたわけか口が開かない。

 紅蓮の輪はやがて白金色に変わって煙のように広がり、吸い込まれるようにして口の中に入ってきた。

 思わず「わぁー!!」と叫ぶと、その声は前の岩に跳ね返って、甲高い金属音になって返ってくる。

 次の瞬間大地が鳴動し、地面にたたきつけられて横倒しになった。
 すると、先ほどの声が響いてきた。

 「お前は、この信仰の道を最後まで全うする気持ちはあるのか?」

 「はい、あります」

 「それが本気なら、こんな所でぐずぐずするな。すぐ山を下りて、早く真理の道を人々に宣(の)べ伝えよ」

 つい「一人では無理です」と言うと、「一人で何でもやろうとするから迷いが生ずる。私がいつも一緒にいることを忘れてはいけない」と言われた。

 そうして一目散に山を駆け下りたその日は、くしくも久保木会長の誕生日だった。

▲真のお父様(文鮮明先生)と久保木会長(左)

全国各地で勝共運動を指導
 「共産主義は間違っている」

 面と向かって共産主義を批判する人がいない中、このスローガンのもと全国各地で勝共運動を指導し、岸信介元総理をはじめ各界有識者から「勝共の指導者」として高い評価を受けた


朴正熙大統領との会談
 「あの久保木という男には注意しておけ、あれは将来とんでもないやつになる」

 そう言ったのは、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領だった。

 1970年9月2日に行われた朴大統領との会談は一時間以上に及んだ。
 目的は、同年に開催されるワクル(WACL/世界反共連盟)世界大会に韓国から代表団を招待することだった。

 会談後、同席していた書記官が追いかけてきて、「大統領は観相を見る天才なのです。大臣も観相を見て決めています。その大統領がこんなことを言っていましたよ」と告げたのが、この言葉だった。


勝共の久保木あり
 ワクル世界大会は、1970年9月20日に日本武道館において2万数千人が集う中で開催された。

 海外からは53カ国250人が参加し、共産勢力に対して守勢の日本にあって「勝共の久保木あり」と称賛された。

 1971年5月からは、ワクル大会に参加した各国の要人を訪ね21カ国を歴訪。
 蒋介石・中華民国総統やローマ教皇・パウロ6世、マルコス・フィリピン大統領らと会見を行った。

▲ワクル世界大会

天啓のような衝動に駆られ
 「自分自身が訴えねばならぬ」

 そんな天啓のような衝動に駆られて行われたのが、「救国の予言」講演会である。
 1973年から74年にかけて全国124カ所で開催され、参加した延べ17万人に唯物思想や共産主義の脅威を訴えた。

 また1984年には7大都市勝共国民大会を展開。救国運動を常に前線に立って指導し続け、日本のみならずアジアの共産化を防いだ


救世主を喜ばせる能力
 真のお父様(文鮮明先生)に「救国の予言」講演会を行うことを報告した際、講演の内容をお聞かせした。

 それを聞き喜び興奮されるお父様の姿を見た幹部が、「久保木さん、あなたは救世主を喜ばせる能力を持っている」と言った。


坂本龍馬のような男
 「重要なことがあったら、いつも3時と4時の間に祈れ。そうすれば、神が直接啓示を与える」
 そうお父様に言われた久保木会長は、いつも重要な時になると啓示を受けた。

 またお父様は会長を見て、「坂本龍馬だね。坂本龍馬とは、100年先を見ぬけた男である。久保木はそういう男である」と言われた。


地上の使命を終えて霊界へ
 「地上での使命は終わった。早く霊界に行ってやることがある。霊界に行かなければ」

 脳梗塞で半身不随となった会長はそう言い、その夜中に聖和された。

 久保木修己会長の昇華式(現・聖和式)は、日本統一教会の基準におけるものではなく「世界統一教会の昇華式」とするよう、また式順の全てを聖なるままに、そしてみこころにかなうよう行うようにという真のお父様の願いにより、1998年12月15日、東京・渋谷の教会本部礼拝堂において世界昇華式として行われた。

 そして真の父母様から久保木会長に、「母奉士(モボンサ:母の国に侍る勇士)」の称号が贈られた。

(参考:『愛天 愛国 愛人』、『ファミリー』、中和新聞)

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 久保木修己初代会長の雄姿を映像でご覧ください。

【久保木修己会長 講演】
第1回 愛天愛国東京壮婦躍進大会

第2回 統一運動の目指すべきもの

【久保木修己講演シリーズ】
スプリング・フェスティバル東京