夫婦愛を育む 133
気分がくさくさして…

ナビゲーター:橘 幸世

 コロナ禍の中、自粛生活が始まってはや半年。友人たちと会うことを控え、施設での運動も中断、すっかり家にいる時間が長くなりました。
 人と授受作用することが減ると、やはり実体の刺激が少ない分、何となく元気が出づらい感があります。

 そんな土壌もあってでしょうか。先晩、ささいな事ながらうまくいかないことが重なり、くさくさした気分になりました。
 自分のケアレスミスがあったのを認めつつも、そんな時はそのミスすら誰かのせいにしたくなってしまいます。主人にブツブツとこぼして聞いてもらいますが、気持ちが晴れないまま床に就きました。

 翌朝の祈祷、通常は公的な祈りから始めますが、前の晩からの気分を引きずったままの私は、正直に自分の気持ちを報告することから始めました。ン十年の信仰があってなお、「この気分、何とかしてください」と、天の父母様に小さな事で助けを求める私です。
 その後かけた電話で、前の晩だったら文句の一つも言ったであろう相手に、良い点だけに焦点を当て、穏やかにお礼を言うことができました。

 一通り朝の家事が終わって、送られてきた払い込み用紙を手に銀行に行きました。
 窓口に行くと、その払い込み用紙をしばらくじっと見た行員さんが、「これ、コンビニで払った方が手数料が安いですよ」と言うのです。
 引き出す際の手数料を基準に、振り込み手数料も銀行が安いと思っていました。「窓口で払うよりもATMで送金するよりも、コンビニのレジで払う方が安いと思います」と金額まで挙げて丁寧に教えてくれました。

 自行の利益を置いて親切に教えてくれたことに驚くとともに、とてもうれしくなりました(行員さん個人の判断か、銀行の方針かは知りませんが、いずれにせよ顧客ファーストで感激です)。

 コンビニを経て、買い物に寄ったスーパーの駐車場で知人にばったり会い、そのまましばらく立ち話。近況・情報交換のたわいのないおしゃべりです。
 家に戻ると、今度はお隣さんが、炊き立ての栗ご飯をお裾分けしてくれました。

 あらららら!
 いつの間にか、天の父母様(神様)が私の気分をケアしてくださってる!

 いつまでも世話の焼ける娘ですが、キチンとお礼を言ったから、親もうれしいですよね。

 信仰の幼い頃に聞いた有名な例え話、父と息子で土地を開墾する話は、今でもはっきりと覚えています(知っているかたも多いと思います)。

 息子が任された半分の土地には、どうしても抜けない切り株がありました。
 一日が終わって父にその事を報告すると、父は「あらゆる手段を講じてみたのか?」と尋ねます。「はい、考え得る全ての事をやってみましたが抜けませんでした」と答える息子に、父は「いや、おまえは一つだけやらなかった事がある。それは私を呼ばなかったことだ。私を呼べば二人で力を合わせて、それが抜けただろうに」

 神様に助けを求めよ、そうすれば応えてくださる、というメッセージです。甘え過ぎない程度に、報告・お願いしていきたいですね。


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