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氏族伝道の心理学 13
不安と怒りから見たカインとアベルの物語

 光言社書籍シリーズで好評だった『氏族伝道の心理学』を再配信でお届けします。
 臨床心理士の大知勇治氏が、心理学の観点から氏族伝道を解き明かします。

大知 勇治・著

(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)

第2章 心の問題と復帰歴史

不安と怒りから見たカインとアベルの物語
 カインは最初の子供であったので、そうしたアダムとエバの不安や怒りや葛藤を一身に受けた子供だったに違いありません。親の気分によって、怒られたりたたかれたりしていたでしょうし、あるいは空腹の中、放って置かれたこともあったでしょう。アダムとエバがけんかをしている姿を怯(おび)えて見ていたこともあったかもしれません。

 それに対して、アベルが生まれた頃はどうだったのでしょうか。

 堕落から年月を経て、アダムとエバは、おそらく少しは冷静になっていたことでしょう。生活も安定し、将来の見通しも立ち始めていたと思います。また、カインのあと、女の子も何人か生まれていたかもしれないことを思えば、家の中の雰囲気も、かなり変わってきていたに違いありません。そうした中でアベルが生まれました。

 一般的に下の子は、上を見て育つので、要領が良く親に取り入るのが上手と言われます。アベルもまた、上の子供たちを見ながら、親から怒られるようなこともせず、お姉ちゃんたちからもかわいがられたことでしょう。そして、堕落した日から年月が流れ、アダムとエバも、生活も落ち着いて穏やかになってきていたに違いありません。そうした中で生まれ育って、アベルは愛を返すのが上手な、かわいげのある子供だったのではないでしょうか。

 そうしたアベルを見て、兄のカインはどう感じていたのでしょう。アベルが生まれて育てられていた頃でも、カインは親から怒られることが多かったことと思います。小さい頃から両親に傷つけられてきたカインです。ひねくれて育っていたでしょうし、わざと両親の嫌がることをして、さらに怒られていたことでしょう。

 また、アダムとエバも、アベルに対しては、無条件にかわいがることができても、カインに対しては、堕落のことを思い出させられて、葛藤を覚えることが多かったと思います。

 ですから、大きくなってからもカインに対しては厳しく当たっていたことでしょう。つまり、アダムとエバは、同じ子供でありながら、カインとアベルに同じように接することができず、アベルはかわいがり、カインには厳しく当たっていた可能性が低くないということです。そうした中で育ったカインは、アベルに対して、いつもうらやましく思いながらも葛藤を抱え、意地悪していたに違いありません。ですから、兄弟仲は良くなかった、というより、悪くて当たり前だったのではないでしょうか……。

 『聖書』に、失楽園の物語の次に書かれているのは、カインがアベルを殺してしまった、カインとアベルの物語です。上記のような家庭的状況が、この事件の背景としてあった、と考えられます。

 カインとアベルは兄弟です。人類の最初の家庭で、兄弟殺し、すなわち家庭内殺人があったということです。

 最近の新聞を見れば、家庭内の殺人事件が頻繁に載っています。親子、兄弟で殺し合っているのです。しかし、殺人事件はそれだけではありません。なぜ家庭内殺人が新聞に大きく取り上げられるのでしょうか。それは、家庭内殺人は、あまりにも悲惨だからです。そうした現代の堕落した社会の中でも悲惨だと考えられている家庭内殺人が、人類最初の家庭であるアダム家庭に起こったということは、アダム家庭が、現代の荒廃した社会や家庭と同じような悲惨な状況にあったということです。

 このような家庭の状況の中で育ったカインとアベルが、大きくなって神様に供え物を捧げたとき、神様は、アベルの供え物を受け取られ、カインの供え物は受け取られませんでした。この時の『聖書』の記述を見てみましょう。

 「日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた」(創世記第四章三節~五節)

 そのときのカインの心情は、どのようなものだったのでしょうか。小さい頃から両親につらく当たられて自尊感情が低くなり、ひねくれて育っていたカインです。また、かわいがられるアベルを羨ましく、妬ましく思っていたであろうカインです。神様がアベルの供え物を取って、自分の供え物を取らなかったときには、「神様まで自分をどうでもいいと思っているんだ」と感じたことでしょう。

 普段から、「両親はアベルがかわいくて自分は愛されていないんだ。でも神様は自分をアベルと同じように扱ってくれるに違いない」と思っていたのではないでしょうか。それが、神様までもアベルを愛し、自分をないがしろにしたと感じたとき、自尊感情が大きく下がったと思います。そして孤独を感じたでしょう。

 自尊感情が下がり孤独になったとき、人は不安と怒りを覚えます。そして「どうせ自分なんか価値のない、どうでもいい存在なんだ」と自暴自棄になり、怒りを感じたでしょう。そして、神様から愛されるアベルに対して、日頃の怨みも重なって、腹立たしさと憎しみをもったことでしょう。つまり、孤独感から来る疎外感や、馬鹿にされたような屈辱感や、愛されるアベルに対する憎しみとでいっぱいになったであろうと思われるのです。

 このときのカインのアベルに対する感情は、まさに堕落前、アダムを前に感じていたルーシェルの心情と同じだったと考えられます。つまり、カインはルーシェルと同じ立場に立ったのです。

 ルーシェルは、怒りを収めることができずに、アダムとエバを霊的に殺しました。もし、カインが怒りを収めることができれば、カインはルーシェルの立場を蕩減復帰することとなったのです。しかし、結果は、私たちが『聖書』を通してよく知っているとおり、カインは怒りを収めることができずに、アベルを殺してしまいました。その結果、カインはルーシェルと同じ過ちを犯すことにより、ルーシェルと同じ立場に立つことになり、アダム家庭全体がサタンの主管下に入ることになってしまったのです。

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 次回は「エバとアベルの責任」をお届けします。


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