『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 6

真の愛は絶望的な状況でも希望と勇気を呼び起こす

浅川 勇男

 「平和の母」シリーズ第2弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」をお届けします。

 ある絶望的な状況に陥った父と娘の実話を、『悔いのない生き方に気づく24の物語』(中山和義・著 フォレスト出版)から紹介します。

 娘の結婚式を前にして、父は肺がんにかかりました。がんは脳や腰の骨に転移して、歩くことも話すことも困難になってしまいました。

 余命いくばくもない父の最後の願いは、娘の結婚式に参加することでしたが、それは実現不可能な事だと思われました。

 娘は予約した結婚式場をキャンセルしました。苦労して育ててくれた父親の参加しない結婚式は耐えられなかったのです。

 娘は未熟児で生まれ、あらゆる病気にかかりました。中耳炎、それが回復すると、ぜんそく……。父は娘のために苦労の限りを尽くしました。そのようにして親子は生き、娘は20歳となり、結婚式の直前を迎えるに至ったのです。

 娘の唯一の恩返しは、父に結婚式を見せることでした。父もまた、その一日を楽しみにして生きてきました。しかし無情にも父と娘は絶望的状況に陥ってしまったのです。

 しかし父と娘の愛は奇跡を起こします。

 事情を知った病院スタッフが、外来待合室で結婚式を挙げることを提案したのです。
 父はどうしても娘の腕を抱いて歩きたかったのですが、医学的に見れば絶対に不可能なことでした。当日まで命を保つことだけでも精いっぱいのことだったのです。

 病院の庭に植木鉢が並び、手作りの結婚式が始まりました。移動ベッドに横たわっている父は手も足も口も動かすことができませんでした。

 ところが娘を思う父の愛は、停止した体の細胞をよみがえらせたのです。

 その場面を引用します。

 「その時、驚いたことにお父さんがふらふらと立ち上がって、娘さんの横に立つと、一緒にゆっくりとバージンロードを歩きだしました。大きな拍手と歓声が沸き上がって病院中の人が2人を祝福しました。
 …多くの拍手に包まれる中、お父さんは娘さんのためにどうしても歌いたかった歌、『娘よ』を、歌うこともできました」(『悔いのない生き方に気づく24の物語』19ページ)

 「結婚式の後、目を真っ赤にしている娘さんに、『俺たちの子どもでいてくれてありがとう』とお父さんが話してくれたそうです。その結婚式から4日後、お父さんは亡くなりました」(同、20ページ)

 文鮮明先生の言葉です。
 「父母は、愛する子供のために骨身を削って苦労しながらも、疲れを知りません。それくらい子供を愛するからです」(光言社 文庫版 文鮮明先生自叙伝『平和を愛する世界人として』235~236ページ)

 韓鶴子夫人は言われます。
 「真の愛は最も絶望的な状況においても、希望と勇気を呼び起こします。…私は毎朝、目を覚ますと、祈祷と瞑想(めいそう)で一日を始め、きょうは誰のために何をするかをじっくり考え、実践します」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』243ページ)

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