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日本統一運動史 54(最終回)
日本に真の御父母様を迎える準備時代㊵
宗教法人・統一教会の出発

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』をお届けします。
 創立40周の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

五、宗教法人・統一教会の出発

 密入国者という立場にあった崔奉春宣教師は、いずれ韓国に送還されることがわかっていたため、それまでに、日本人の責任者を中心とした宗教法人としての日本統一教会を創設することが重要な課題でした。その目的が1964年に果たされ、1965年以降に真の御父母様を日本にお迎えできる基盤を造成することをもって、日本宣教師の使命を終えるようになったのです。

(1)崔奉春宣教師が東京・北沢署に連行(1964.6.2)

 1964年6月2日朝、崔奉春宣教師の不法入国が発覚し、警察に連行されました。そして6月4日に崔奉春宣教師が世田谷区の北沢署から出入国管理局に移されました。


(2)全国大学連合原理研究会主催の第1回修練会(1964.7.6〜12)

 全国の各大学における原理研究会の設立が進んでいましたが、それらが統合されて小宮山嘉一会長、梶栗玄太郎副会長のもと全国大学連合原理研究会がつくられ、全国の各大学での講演、原理の展示説明会などが開催されていきました。その結果、第1回修練会が1964年7月6日から12日までの一週間、戸田修練所において開催されました。


(3)世界基督教統一神霊協会が宗教法人として認証(64.7.15)

 1964年7月15日に、世界基督教統一神霊協会(会長は久保木修己氏)が宗教法人として認証され、7月16日に設立されました。そして7月17日に崔奉春宣教師が出入国管理局から教会に戻られました。


(4)本部教会を渋谷区南平台に移転

 1964年11月1日、本部教会を、約1年間住んだ世田谷区代沢から、渋谷区の南平台町45番地に移転しました。かつては、この家に西郷隆盛の弟が住んでいました。そして兄の隆盛もしばしばここを訪れ、時の明治天皇拝謁の日には、身を清めるために井戸の水でみそぎをしたといわれます。その後、転々と人手に渡り、戦後の岸内閣の時代に、首相公邸として使用されました。そして60年安保闘争の時、警官とデモ隊の競り合いが、玄関への道と芝生上で繰り広げられたところです。この南平台の本部で、1965年に初めて真の御父様をお迎えするようになったのです。

▲渋谷区・南平台の本部教会(1964.11.1〜1967.12.20)

(5)早稲田大学で二度の講演会開催(1964.11〜12)

 11月19日から23日までの学園祭で、早稲田大学原理研究会主催のもとに、医学・理学博士高橋良明先生、小宮山嘉一氏の講演会(19日)と、5日間にわたる原理展示説明会が行われました。
 また12月2日には早稲田大学大隈小講堂において400名を集め、久保木修己氏と高橋良明先生の講演が行われました。


(6)全国各大学に原理研究会設立

 1965年1月の段階で大学に設立された原理研究会および委員長。

東大原研委員長 堀 展嘉

中央大原研委員長 小林弘人

早大原研委員長 尾脇準一郎

東北大原研委員長 菅原 清

慶応大原研委員長 小林政人

新潟大原研委員長 布田由之

千葉大原研委員長 清水自朗

三重大原研委員長 唐木正子

立正大原研委員長 佐々木龍彦

関西大原研委員長 森 三雄

東洋大原研委員長 門馬和重

九州大原研委員長 都 敬志

日本大原研委員長 大貫晟司

▲廃品回収をする久保木修己会長(右)と大山高誉氏

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 「日本統一運動史」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。


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