『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 1

野の花のように美しく、松のように強い心を持つ

浅川 勇男

 「平和の母」シリーズ第2弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」、いよいよスタートします。

 人生は、思うとおりにはいかないものです。

 自動車の運転は、ナビ(到着地地図)をセットして、目的地に到達できますが、人生は目的地が不明であり、幾多の障壁や困難が道を遮(さえぎ)っていくものです。

 信じた人にだまされ、愛した人から裏切られる。夫婦間でも、言葉で傷つけ、傷つけられる。病気、事故災難、経済的問題、自然災害、最近ならコロナ災禍などが襲い掛かることもあります。

 純粋な夢と希望を抱いて出発した人生が、傷心の日々の中で、不信と不満と猜疑(さいぎ)心で、心に汚れが付き、なえてくるのです。

 会社や親族、町内の人間関係の煩雑さで、人からどう思われ、どう評価されるかを気にするようになり、自分らしさを見失い、心の美しさと強さを失っていきます。そのため、ひどく臆病な人生を歩むようになることがあります。

 では、どうしたら、心が汚れず、美しさを保って、何事にも動じない強さを持って生きることができるのでしょうか。

 そんな時は、道端でけなげに咲いている野の花を見ればいいのです。

 花にも、人間の手を介在して咲く花と、自然のままで、一切人の世話を受けずに咲く花があります。
 花壇で咲く花、花屋に陳列される花、温室で手厚く育成される花は、人が丹精を込めて育てるので、暴風雨や日照りで、枯れ果て、なえる心配はありません。

 もし彼らに、「あなたが一番信頼するかたは誰ですか」と問えば、きっとこう答えるはずです。

 「私を育ててくださる花屋のご主人さまです」

 野の花に、同じ質問をしたら、こう答えるでしょう。

 「私の主人は、天の父母様、神様です。神様は、いつでも、私を愛してくださり、なんの不足も感じたことがありません、喉が渇けば雨を降らせ、運動したいと思えば、風を吹かせて揺らしてくださいます。私は、ひたむきに天の父母様を信じ委ねています。心配したことは一度もありません」

 人生は、人だけを見つめていると、一喜一憂、心配で、疲れるだけです。しかし、天の父母なる神様を信じて、委ねていけば、必ず道は開かれるのです。

 純粋に、神様の愛を信じて疑わず、至誠感天、ひたむきに、神様の道を歩んでいく強さがあれば、全ての困難と障壁は消滅するのです。神様は、信じて求める人を決して失望させないからです。

 世界平和という最も困難な道を歩まれた、文鮮明先生と韓鶴子夫人は、全てを神様に委ねきって精誠の道を歩まれました。
 このお二人は、野の花よりも美しい心と、松よりも強い心を持たれていました。

 人類の涙をぬぐう平和の母、韓鶴子夫人は言われます。

 「私は世の中のすべての人が野の花のように美しく、松のように強い心を持ち、この芝生のように清く生きていけるように、一人、祈りを捧げるのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』31ページ)

◆ ◆ 

▲自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』(ソフトカバー)の商品ページはコチラ!