家族の絆づくり 117
「嫌な感情」は創造本性って本当?

ナビゲーター:阿部 美樹

悩みの三要素「嫌な出来事」「嫌な相手」「嫌な感情」
 多くの人の悩みには、「嫌な出来事」「嫌な相手」「嫌な感情」という三つの要素があります。

 望まないこと、あってほしくないこと、気分の悪いことに対して「嫌なこと」と表現します。しかし、嫌なことが決して「悪」ではありません。やるべきことなのに苦手なことに対して「嫌だ!」と表現します。性格が違い、苦手な人に対しても「嫌だ!」と表現します。

 苦手なことや苦手な相手は、決して「悪」ではありません。苦手なことに挑戦することを通して、自分の能力が高まったり、個性が磨かれたりするなどして成長します。苦手な相手を理解しよう、嫌な相手をも受け入れようと努力することを通して、人間関係力が高まるなど、人格が育まれます。

 しかし、最も難しいのが「嫌な感情」です。たとえ経済的に豊かになったり、人間関係に恵まれたりしても、嫌な感情に支配されていれば、幸せを感じることができません。理性では「良し!」と考えても、嫌な感情が心から湧き上がり、どうしようもないことがあります。

嫌な感情=堕落性本性ではない!
 「嫌な感情」とは、どんな感情でしょうか?

 例えば、「不快」「不安」「恐れ」「悲しみ」「落胆」などです。これらの感情を持ち続けたら幸せとはいえません。しかし、この感情は「悪」でもないし、「堕落性本性」でもありません。

 「喜び」「安心」「愉快」「楽しい」という感情を「情の陽的な面」というならば、「不快」「不安」「恐れ」などの感情は「情の陰的な面」です。
 光が当たると、明るい日差しを受ける陽的な部分もあれば、暗い影となる陰的な部分もあるように、「陽陰」の関係であり、どちらも神様が創造された感情です。

 暗闇の夜道を歩けば「不安」になります。「不安」になるからこそ、転ばないように気を付けたり、明るい安全な道を探そうとします。危険な崖に近づけば「恐れ」を感じます。その「恐れ」があるからこそ、踏み外さないように慎重になることで安心を維持することができます。

 家族の病気や事故に直面すれば、「悲しみ」を感じます。その心が湧いてくるからこそ、病気治癒や健康回復のための思いやりの行動につながります。このような「情の陰的な面」も必要だということです。

 また、「喜怒哀楽」という感情表現がありますが、「喜び」と「楽しさ」だけでなく、「怒り」や「哀しみ」も神様が創造された感情です。それが自己中心の動機になると「要求・裁き・怨みの怒り」という堕落性本性となります。

 「怒り」は本来、義憤という義を貫こうとする「正義感」、道義に外れたことを正してあげたいという「愛情心」からの感情表現でもあります。

 『原理講論』(堕落論)には次のように表現されています。

 「堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった」「このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう」(『原理講論』堕落論(六)堕落性本性/122ページ)

 このように、「不安」「怒り」「嫉妬心」も神様が創造された「創造本性」です。その心を自己中心に捉えた瞬間から堕落性本性となります。

 その心を神様を中心に率直に受け入れ承認してみましょう。